【写真】笑顔でインタビューに応えるおかくてるみさん

大きな喪失を抱えて悲しんでいる人に、なんて声をかけていいかと悩んだことはないでしょうか。 「頑張れ!」なんて気軽に言えないし、「わかるよ」と安易に言うのも違う気が。そうこう悩んでいるうちに、自分が相手に対して何もできないことに気付いて自己嫌悪したりして。

「グリーフケア」とは、死別や喪失を経験した人に対して行うケアのこと。「グリーフ」とは大切ななにかを失った時に生まれてくる感情や反応、プロセスのことを指します。例えば自死遺族や、東日本大震災のご遺族、親を亡くした子どもたち、子をなくされた親御さんたちなど様々な理由によりに死別を経験した人達に対して行われています。

日本でも徐々に浸透しつつあるグリーフケアを広める活動をしているのが、尾角光美さん。死別した人を支える一般社団法人「リヴオン」の代表理事で、尾角さん自身、母と兄を自殺と不慮の死によって失った経験があります。20歳の時からグリーフケアに携わり、日本中の僧侶や経営者から講演依頼がある彼女に、「グリーフケアってどういうこと?」など、ライターの小川たまかとsoar編集長の工藤瑞穂の2人でお話を聞いてきました。

尾角光美(おかく・てるみ)さん 一般社団法人リヴオン 代表理事 2003年19歳で母を自殺で亡くす。翌年からあしなが育英会で遺児たちのグリーフケアに携わる。2006年よりグリーフケアや自殺予防に関して全国の自治体、学校、寺院などで講演や研修を行い、2009年にリヴオンを立ち上げる。リヴオンは「グリーフケアが当たり前にある社会の実現」を目指して、「母の日プロジェクト」、「大切な人を亡くした若者のためのつどいば」、グリーフを学びあう場「いのちの学校」や「僧侶のためのグリーフケア連続講座」などを全国で事業を展開している。2013年には東京・増上寺で「ダライ・ラマ法王と若手宗教学者100人の対話」を開催し、宗派や宗教を越えてつながる場を生んだ。 近著に『なくしたものとつながる生き方』(サンマーク出版) 『自殺をケアするということ』(共著・ミネルヴァ出版)

グリーフケアの場で同じ境遇の子どもと出会って力をもらった

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるおかくてるみさん

小川:尾角さんは、19歳でお母さまを亡くされ、その翌年から、あしなが育英会で遺児たちのグリーフケアに携わっていたんですよね。

尾角:そうですね。あしなが育英会はご存知の通り子どもたちを支援する奨学金団体で、大学生の場合は奨学金を借りる資格を得ると同時に、後輩遺児たちのために行われる「つどい」というキャンプのボランティアが必須参加なんです。そうしたきっかけをいただいて、グリーフケアに携わるようになりました。

おそらく私のように家族を亡くした直後から他の遺児のケアに関わるということは、少ないと思います。でも、何年か経ってから自分が元気になったときに「同じ経験をした人に何かできないかな」って思う人はたくさんいると思います。実際に今もそうした人たちと共に活動をしています。

小川:尾角さんは、翌年からすぐにグリーフケアに関わることになって、どんなことを感じましたか?

尾角:大学の同級生たちはみんな母親の話をするし、親がいて当たり前の世代。親の話って、当たり前にしますよね。一緒に旅行に行ったとか、実家に帰ったとか。そういう何気ない一つひとつのことがとても傷つくということを学校では言えない。いちいち言ったら場を悪くするかなーって。

でも遺児同士、親を亡くした者同士だったら、「こういうこと言われて嫌やってん」「あー、私もあったー」みたいな感じで会話できる。親を亡くしているのが当たり前という環境でみんなと一緒に活動できたことは、恵まれていたなと思います。あと、自分よりも年下の子が本当に過酷な状況の中でも、今生きているというだけで力をもらっていて、それもとても大きかったですね。

小川:ケアはどんな風に行うのですか??

尾角:京都と東京で月一回開催している「大切な人を亡くした若者のつどいば」ではメンバー全員で車座になり、誰からでも自分のタイミングだと思ったら、自分の想いや経験をそれぞれに語ります。輪の真ん中に「トーキングツール」になるもの、たとえば人形などを置いておいて、それを取った人が語る。

他の人はただ、ただ、耳を傾け聴きます。比較や解釈、アドバイスをしない、パスをしてもいい、ここに出てきた話は置いて帰るという約束を予め共有し、安心して話せるような場づくりを心がけています。 一般的に「分かち合い」とか、近い経験をした者同士がつどい、語りあう「ピアサポート」と呼ばれる形式ですね。

自分の体験から今感じていることを、自分の話せる範囲で語り、聴き合う場。話す側にも聴く側にもなります。また、全12講の「いのちの学校」ではグリーフを抱えた本人、また支え手になりたい人たちがつどい、学び合い、グリーフを表現できる場をつくっています。

「いのちの学校」の様子、それぞれのグリーフをアートで表現して学び合います。

「いのちの学校」の様子、それぞれのグリーフをアートで表現して学び合います。

小川:尾角さん自身は、グリーフケアを受けてらっしゃるんですか?

尾角:まず、「グリーフケアを受けた」という表現ってすごく難しいなって思います。先日、北海道で僧侶の方に講座を行っていたとき「グリーフケアはするものなのか?」というテーマがあったのですが、グリーフケアは「するもの」だとは私は思っていないんです。

小川:「するもの」ではない。

尾角:たとえば、私が誰かを亡くして悲しいなって思っているとき、話を聞いてくれる人がいるとします。でももし、その人が「グリーフケアしてあげるよ」って思ってしている人だったら、私は嫌やと想います。私は、グリーフケアは誰かを亡くして悲しんでいる人と、その人を大事に思っている人との間に、生まれてくるものやと思っています。する側、される側があるのではなくて、間に。

小川:してあげるよ、だと押しつけがましくなっちゃいますね。

尾角:もちろん、グリーフケアがどういうことなのかを学ぶのは大切なんですけどね。震災で親を亡くした子どものところに「あなたのところにグリーフケアしに行ってあげるよ」とか言うのって、おかしいやないですか、明らかに。一歩間違えればやっぱり押しつけがましいものになるので、「そばにいるよ」「必要があれば助けを求めてね」「話を聴くよ」って、そういう程よい距離感でそばにいることが、ケアのあり方かなと思います。

物語を紡げるようなサポートを

【写真】インタビューに答えるおかくてるみさんとライターのおがわたまかさん

===== 兄の死の報せを聞いてしばらくは、胃が食事をまったく受け付けませんでした。 「少しはおなかに入れたほうがいいよ」と、スープぐらいならと言って、友人がコンビニでインスタントのコーンポタージュを買ってきてくれました。 けれど、とても食べられる気分ではなく、私は「気持ちが悪くて食べられないよ」と返しました。 彼の思いやりに応える余裕がそのときのわたしにはありませんでした。 「まぁ、日持ちもするし、気が向いたら食べればいいんじゃない」と言葉にして、彼はちょっと離れた机の上にスープを置いて帰りました。 =====『なくしたものとつながる生き方』より

小川:程よい距離感でそばにいること。最初からできる人もいれば、そういう接し方があるということを知らない人もいそうです。

尾角:グリーフケアの基本的な知識を知るだけでもかなり変わると思います。たとえば、(悲しみを抱いている人に対して)「悲しみから立ち直る」とか「死を乗り越える」という表現を安易に使いますよね。この表現自体が不思議なもの。

小川:よくある言い回しだから、なんとなく使ってしまう人も多いかも。

尾角:これって白か黒かしかなくて、まるで黒い世界から白い世界に一線を越えてぴょんっと飛び越えるようなイメージ。でもそうではなくて、人はグラデーションの中で生きています。家族の死から時間がたてば明るい方にでいられる時間も増えてくるけれど、命日が近づいたり、自分の誕生日だったり、いろんなタイミングでグリーフ(悲嘆)を感じるもの。そのライフステージの折々に暗い方に引き戻されることは何度だってあるし、それが自然なことなんです。

小川:自分の誕生日に、これまで祝ってくれていた人がいないことで改めて感じる喪失感もありますね。

尾角:乗り越えるのではなく「グリーフを大切に抱きながら生きていくもの」ということを感じられると、程よい距離感というのがわかるのでしょうか。人によって失ったところから生まれる感情もプロセスも、喪失を感じるタイミングも、一人ひとり違うんだというのをわかっておくことが大切かと。

小川:グラデーションのお話、すごくわかります。みんな、生と死、明るいところと暗いところを行き来しているという考え方は身につけておきたいです。

尾角:グリーフケアを言い換えるとすれば「失ったところから生まれてくる感情や経験を抱きやすくするための支え」みたいなものだと思います。私たちは生きていても、亡くなった人たちとのつながりを感じ直せるし、新たに紡いでいくこともできる。死で終わりではないと物語を紡げるようなサポートをするのが大事なポイントやと思います。

年次報告書リヴオンしんぶん「花の巻」より

年次報告書リヴオンしんぶん「花の巻」より

小川:死で終わりではない、というのをさらに詳しく聞きたいです。

尾角:亡くなったからといって、遺族はその人のことを思い出さないわけではないですよね。そのときどきに思い出すし、お墓参りとかお盆とか、亡くした人とのつながりを感じる営みが古くから今に続いてある。私も母から最後にもらった誕生石のネックレスを「今日は取材だから気合い入れようかな」っていう時につけたりして、力を借りるんです。そうやって、亡くなった人のいのちと私たちのいのちがつながるような営みを日々できるんです。でも「死で終わりだから、乗り越えなきゃ」という考え方だと、死者と私たちの関係は途切れてしまう。

小川:亡くなった人のことを思い出すとき、悲しいだけではなくて、その思い出を懐かしく思ったり、楽しかった時間を振り返って笑ったりすることもありますもんね。

尾角:リヴオンを立ち上げる最初のきっかけになった「母の日プロジェクト」は、亡くなったお母さんに宛てた手紙を募り、本に編むというものです。これまでにご寄稿くださった方の多くから「手紙を書くことでもう一度話せた感覚がある」とか「亡くなった人とつながりを感じられる」という声をいただいています。

ないからこその人生がある


【写真】インタビューに真剣な様子で応えるおかくてるみさん

工藤:逆に、自分が喪失感の中にいるときのことを聞きたいです。悲しいけれど、悲しいことだけを考えるのではなくて、あえて楽しさとか喜びに目を向けることってありますか?

尾角:それに対しては答えが2つあります。1つは、しんどいときは、できなかったことよりもできたことを見るようにしています。できていないことに目を向けて自分を責めるっていう悪いパターンがあるから、まずできたことを褒める。

工藤:たとえば……。

尾角:たとえば、しんどいときに朝起きられなかったりすることって人間あると思うんですけど、「今日は11時30分に起きられた!12時をまたがなかった」と褒めてみる(笑)。11時30分から100%生きればいいって思うようにしてたんですよ。そういうくだらないことでも自分を褒めるのは、しんどかった当時大切にしていたかな。

工藤:朝起きられないこと私も最近悩んでいるので、わかります(笑)。

尾角:今から100%生きるから許そうみたいな(笑)。あともう1つは、悲しみと喜びを分けないこと。ちょっと言い方が難しいのですが、悲しみは一色ではないというか、悲しみの中には悲しいからこそのつながりがあったりするんです。悲しいからこその温かい側面、悲しみの持っている光の側面みたいなものを見るようにするんです。悲しみが持っている豊かな面に気づけるような自分でありたいと思っていますね。

工藤:たとえば「子どもが欲しかったけれど、できなかった」という先輩がいて、何かをできなかった自分」っていう感情をもって生きること、それを受け止められないで生きるというのはすごくつらそうだなと思うんです。

尾角:そのまま「子ども欲しかったなぁ」って思い続けてもいいって、自分で自分に言ってあげられたら良いですよね。「こんなこといつまでも思っていてどうするの?」って自分で自分をジャッジしてしまうと生きづらくなる。「子ども欲しかったんだよなぁ。でもできなかった。で、どうする?」みたいな。私の友人に子どもを持たない人生になったからこそ「子ども関係のボランティアをしよう」って思う人もいました。

工藤:自分の感情を認めることで、一歩を踏み出すことがあるんですね。

尾角:「子どもがいないから、親を亡くした子どもの支援がしたい」と言ってくださる方もいるんですね。そうなってほしいということではないけれど、子どもがいないならいないで、「じゃあ今の、この人生をどう生きるの?」っていうところに光を当てていかないと、過去を生きていくことになる。過去も大事だけれど、過去から育てられた「今」をどう生きるかという視点を持てたらなと思います。

工藤:本当にそうですね。

尾角:ないからこその人生って、絶対あるはずです。失ったからこその人生。私は母からの承認をずっと求めていたけれど、得られなかったという感覚がずっとありました。うつ病だった母親からは「あんたなんか生まれてこなければ良かったのに」という言葉を投げつけられたこともあるけれど、だからこそ、私がもし子どもを授かったらきっと毎日うるさいほど「生まれてきてくれてありがとう!」って言うやろうなと。

その尊さを知っているのは、ないことを知っているから。何もないわけではなくて、ないからこそ何かがあるっていうところに目を向けられると見えるものがあるんやないかなって思います。

誰が大事な人を亡くしてもサポートがあるように

母の日プロジェクト。10歳から96歳までの“子ども”たちからメッセージが届きました。

母の日プロジェクト。10歳から96歳までの“子ども”たちからメッセージが届きました。

小川:2009年にリヴオンを立ち上げたときのこと、「母の日プロジェクト」のことを教えてください。

尾角:母を亡くしてから母の日は生きている親子のためのものだから、自分とは関係ないと思っていたんです。ところが、2007年にウェブサイトで「母の日」と検索をしてみたことがあって、偶然、母の日の原点を知りました。母の日は、亡き母を偲び、一人の女性が教会でスピーチをして、その母親が大好きだった白いカーネーションを配ったことが起源だったんです。

ちょうど翌年の2008年が母の日100周年やったので、それに合わせて母の日の原点を広めようという活動を行いました。最初は手作りで京都の和紙屋さんに紙を注文して、ボランティアセンターの印刷機で、印刷をして、製本しました。

1冊目の『101年目の母の日』はNHKや朝日新聞が特集してくださりとてつもなく大きな反響がありました。朝6時からずっと受付用の携帯電話が鳴り続けて、それが1か月続いたんです。1本電話を切ったら10本くらいキャッチホンが入ってる、みたいな(苦笑)。

小川:すごい。

尾角:亡くした人への想いを表現する。これはすごく大事なことなんやなと思いました。亡くした人に対してもう一回想いをを伝えていいということ。グリーフを表現する機会って大切なんやなって。母の日は毎年来るし、母を亡くす人は毎年確実にいる。

子どもが先に亡くならない限り、みな母親をいつか必ず亡くします。このプロジェクトは続けなきゃいけない。まず母の日プロジェクトを続けていこう……というところから生まれたのがリヴオンでした。

尾角さんは僧侶にグリーフケアを広める活動に力を入れています。「僧侶のためのグリーフケア連続講座」(全五回)の様子

尾角さんは僧侶にグリーフケアを広める活動に力を入れています。「僧侶のためのグリーフケア連続講座」(全五回)の様子

小川:母の日プロジェクト以外にも、さまざまな活動をされていますね。

尾角:その後、自殺で親を亡くした子たちの1泊2日のつどいへと活動は広がっていきました。大学4年で参加した社会起業家のビジネスプランコンペ「edge」で優秀賞を受賞した時に、「グリーフケアが当たり前にある社会を実現すること」という自分たちのミッションを考えました。いつ、どこで、どんな形で大切な人を亡くしてもサポートがあるように。


失恋も一つの喪失

自分の抱えているグリーフを折り紙をつかってハートにあらわして絆創膏を貼るワーク photo by Mina Imai

自分の抱えているグリーフを折り紙をつかってハートにあらわして絆創膏を貼るワーク photo by Mina Imai

====== 大切なものをなくしたことがある人。 病気をしたことがある人。 怪我をしたことがある人。 引っ越しをしたことがある人。 失恋したことがある人。 絶交したことがある人。 大切な存在を死別でなくしたことがある人。 …… いずれも「失う」ということが共通しています。 ====『なくしたものとつながる生き方』より 一部要約

小川:ご著書の中に、失恋について書かれているところがありますよね。近親者を亡くすよりも失恋のほうが一般的に軽度の喪失だって思われがちだけれど、そうではないよと。そこについてお聞きしたいです。失恋したとき、「こんなことで泣いていてはダメ。世の中にはもっと悲しんでいる人がいるのだから」って思って、つらさを封じ込めちゃう人っていると思うんです。そんな人にかけてあげたい言葉ってありますか?

尾角:「あなたは今、悲しいんよね」って聞きます。もし比較しているんやとしたら、「比較したい?」って。比較して楽になるんだったら比較すればいいと思うけれど、あなたの悲しみはあなたの悲しみ。取り出してきて、あなたの悲しみと、誰かの悲しみとを天秤にかけて測ることはできないんやないかなって思うんです。

小川:うんうん。

【写真】インタビューに応えるおかくてるみさん

尾角:たとえばこのコップ。どこにでもあるコップだけれど、これがもし亡くなったおじいちゃんがすごく大事にしていたコップだったら、このコップが割れた瞬間、おじいちゃんとのつながりさえ失ってしまうような気持ちになる。「どこでも売ってるでしょ?買えば済むじゃない」って人は思うかもしれないけれど、そのコップに対する想いはその人にしかわからない。失恋も一緒で、やっぱりその人にしか失恋の痛みはわからないです。

小川:同じ失恋はないですもんね。

尾角:もちろん、比べることで楽になるなら活用したらいいんです。「あの子はあんなに苦しんでも頑張っているから、私も頑張ろう」って頑張れるならいいけれど、比較することで自分を大事にできなくなることが時としてあるんやないかなと。死別であっても、モノを失くした喪失であっても、失恋であっても、失うということを自分の中で、比較をせずに大事にするっていう時間は大切にできたらいいなって思いますね。

小川:失恋についてばかり聞いて恐縮ですが、失恋って周囲も「そのうち平気になるよ!」とか「私もつらかったけど立ち直ったし」って言ってしまいがちな気がして。

尾角:グリーフあるあるというか、グリーフの世界には「時薬神話」というのがあるんです。やっぱり、死別でも失恋でも、時間が経てば良くなるってみんな言うんですよ。でもそれってある意味で「神話」というか、真実とはちょっと違う。楽になる部分もあるけど、相手の存在が、自分の人生において、大きければ大きいほど、その痛みや悲しみが完全になくなることはないなあって思う。

私がこの本の中で書いている失恋の話はもう10年以上前のことで、当時に比べればもちろん気にせず過ごせるようになっています。それでもやっぱり、その人との思い出に触れることがあった折に、胸がキュウってなったりするんですよね。

小川:わかります……!

尾角:事実として「時が経てば楽になるから」そう言いたくなるんですけど、目の前の人が、今は苦しいならとりあえず「今、苦しいんだね」っていうところに立ち会うみたいな。私やったら、今に佇みながらちょっと先の希望を一緒に考えようと思いますね。

小川:「今に佇みながら」っていいですね。

尾角:「とにかく酒飲んで愚痴りたいならそうしよう」とか「アメリカの映画みたいに大きいアイスクリームを買っきて食べよう」とか。解決しようとしたり、今すぐ楽になるよって言たりするんやなくて、その苦しみに対して、あなたはどうしたい?っていうほうに目を向けます。一緒にアイデアを考える。

「泣いていたいんだったら、すごく高級な今治のタオルをプレゼントしようか!」とか(笑)。励ましも大事だけれど、その人自身の感じ方をまずそのままに見てくれたらいいのになってみんな思うんやないかなあ。 


人の話を聞くには

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるおかくてるみさん

工藤:人の話を聞くことについて、なんでこんなに人の話を聞けないんだろうって2年前くらいに悩んだことがあります。人の話をちゃんと聞くためにはどうしたらいいんでしょう。

尾角:スキル的なものは世の中にいくらでも転がってると思うんですけど、私は、大切なのはやっぱり「あり方」やと思っています。1つは、自分のことを大事にしているかどうか。人の話を聞くって、すごくエネルギーのいること。自分が喋るよりずっとエネルギーを使うと思うので、だからこそ自分自身を整えておく。セルフケアを日々意識して行うというのは大事にしています。

工藤:自分を人の話が聞ける状態に整えておく、そうですね。

尾角:もう1つは、関心が持てるかどうかやと思います。一回一回のご縁を大切に思って、関心を持って、大切に聞く。

工藤:たまに、関心を持っていない自分にがっかりすることがあります(笑)。

尾角:んーーーー、ないときはないからしょうがないんかなぁとも。……あ! 明石家さんまさんがすごいんです! さんまさんって、同じ話を繰り返しされたとしても、1回目に聞いたように聞いて、返すんだって。そのくらい新鮮な気持ちで向き合う。その能力やあり方ってある意味すごいですよね。

工藤:うわあ、さんまさんすごい!相手によって興味を持てる人と持てない人もいると思うのですが、どんな人の話も関心を持って聞くことはできるんでしょうか。

尾角:自分がどうしたいかっていうことやないんかな。聞きたくないときに無理をして聞かない。聞かなきゃいけない状況はあると思うんやけど、本当にこの人との出会いを大事にしたいのかと、自分に問うたときに在り方が決まる感じがして。出会う全ての人に関心を持って大切に聞けたら素敵だとは思うけれど、人として不自然でもある。

工藤:そうですよね。

尾角:私達の講座を受講しているお坊さんたちが、自分の奥さんから「グリーフケア学ぶのはいいけれど私のケア、どうなってるの?」って言われるんですって(笑)。カウンセラーでもよくあることですが、仕事で他人様の話を大切に聞けても、プライベートでは聞けないことがある。だから、近い人の話を聞くのが実は一番難しいですよと伝えています。 


自分を大切にすることを学ぶ教育を

【写真】微笑んでインタビューに応えるおかくてるみさん

===== もし、大切な誰かに「死にたい」と言われたら、何と答えますか。 (略) 「あなたは今、死にたいと感じているんだ。ただ、わたしは、あなたに死んでほしくないとも思っているんだ」。 日本語は主語がなくても通じてしまうけれど、相手と自分の心地よい境界線を引くために「わたし」という主語をていねいに立てること。 =====『なくしたものとつながる生き方』より

小川:「あなたと私の境界」という部分もすごくなるほどって思いました。

尾角:「私は」っていう言葉をつけることは日本では確かに嫌われると思うんです。「俺は、俺はって言うなよ」って。だから主語から消えますよね。でもそれはすごく無責任なこと。たとえば、「あなた長男なんだからしっかりしなさいね」って言うじゃないですか、日本人って。

でも本当は「私は、あなた長男なんだからしっかりしなさいねと思ってるのよ」という文に表してわかるように、先の言葉では「私は」という主語が省略されている。主語が消えることによって、無言の圧力にさらされる感じがしますよね。

小川:あらかじめ決まったルールを押し付けられてるような感じがしますね。

尾角:ただ一方で、「あなた、こう感じるのね。だけど私は、こう感じるよ」って言うだけだとちょっと冷たい感じもするんですよね。境界をはっきりさせつつ、相手の境界線のところまでできる限り近づく努力は必要なのかなって。

「今、あなたはこう感じてるのかな。違ったら言って」と投げかけてみて返ってきたところから「あっ、違ったんだ。そう感じてるんだね」ってちょっとずつ理解を深めていけばいい。 「私」を消して、「みんながこうだから」っていうふうにするのは、ちょっと生きづらくなりますね。

小川:たとえば震災のときに被災した芸能人がブログをアップしたら、「お前だけがつらいんじゃないんだ」みたいなことを言う人がいるのって、日本人の「美徳」みたいなのが変な風に出てしまっていると感じます。自分のつらさを表に出すなというような……。

尾角:おそらく、そうやって踏ん張れる人たちが、今までの日本をつくってきてくれたんでしょうね。「みんなしんどいから、みんなで頑張ろう!」って奮起させて、戦後の復興を果たして、高度成長してきたし。でもそうすると、個が大事にされない結果、自殺が増えて。「自分を大切にしていい」っていう感覚を教育の中で受けていないって感じがありますよね。

小川:本当にそうですね。「自分のことより周囲の空気を読みなさい」という教育。

尾角:9年前から主に中学生〜大学生までを対象として「いのちの授業」という自殺予防教育をやっているんです。つらいときに自分を大事にしていいっていうのは当たり前のこととして、みんなに伝わったらいいなって。

15歳以上だと、交通事故に遭うより自殺で亡くなる可能性のほうが高いんですよ。若者の死因の第一位なんです。「交通事故に気を付けて、こういう行動をしましょう」って私たちは子どもの時から教わっているけれど、「自分が自殺に陥らないように自分を大事にする方法」なんて、誰も教えてくれていません。

自分の価値判断よりも周りの価値判断に合わせることを無意識のうちに学んでいるので、もう少し自分を大事にして、そのうえで他者も大事にできるようなかたちになっていったらいいですよね。

一番のテキストは自分自身

リヴオン7周年記念イベント「花笑み」にて。いのちの学校の卒業生など、たくさんの方が集まりました。

リヴオン7周年記念イベント「花笑み」にて。いのちの学校の卒業生など、たくさんの方が集まりました。

小川:リヴオンで、今後はどんなことをやっていきたいですか?

尾角:リアルな学校をつくりたいですね。お医者さんもお坊さんもカウンセラーも教師も遺族の人たちも、死、いのちについて学びたいと思ったらそこへ行くっていう学校。

小川:いいですね!

尾角:畳の上で寝っ転がりながら本を読める図書館とか、自然いっぱいの墓地が隣にあるとか、キャンプしながらお墓参りできるとかね(笑)。それぐらい、ゆったり亡き人を思いながら過ごせる空間をつくりたいですね、学校の傍らに。

小川:夢が大きい。

尾角:そこには偉い先生がいっぱいいるっていうよりは「みんなが先生、みんなが生徒」。場を共にしている者同士での学び合いを大切にしたいと思っています。グリーフケアっていろんな専門書があるけれども、一番のテキストは自分たち自身だと思うんです。

失恋だったり、おばあちゃんを亡くしたり、一人ひとりそれぞれのグリーフがあって、歩みがあって、そのグリーフから学び合うっていうことがとても大切だということを7年間のリヴオンの活動を通じて感じてきました。これこれこうしたら、グリーフケアになりますという「マニュアル」があるわけではない。だからこそ学び合っていくしかないと思います。

【写真】笑顔のおかくてるみさんとライターのおがわたまかさんとくどうみずほ

文字に起こしたインタビューを読んで改めて、饒舌に話してくださる言葉の一つひとつすべてに、これまでのご経験が詰まっていると感じました。 私はこれまで、かけがえのない存在を失った人に対してかける言葉を失ってしまうことがたびたびありました。でも「一番のテキストは自分自身」という言葉から考えてみると、私自身、失恋、知人や愛犬の死を経験していることに気が付きます。

そして尾角さんが言うように、失ってからもまた続く物語を、自分も生きてきたのだと思います。 リヴオンは英語で「生き続ける」の意味。亡くなった人たちが生きていた証拠を持っている私たちが生き続けて、生をつなげること。それはとても尊いことだと気づかされました。 


尾角さんは日本財団の国際フェローシップのフェローに選ばれ、この9月から英国に2年間留学予定。英国をベースにグリーフケアの社会政策について国際的な研究を行い、日本の社会に仕組みとして、グリーフケアを確立できるよう学んでこられます。日本人にとっても、喪失体験をしてつらいときにいつもグリーフケアが近くにあるような社会になってほしいです。 


関連情報: 一般社団法人リヴオン ホームページ 尾角光美さん  ブログ 尾角光美さん著書 『なくしたものとつながる生き方』(サンマーク出版) 「いのちの学校in名古屋 第7講『亡くなった人を想う』」が開催されます! 日時 1月23日(月) 18:30~21:00 (受付時間18:00~) 場所 白鳥山 法持寺(愛知県名古屋市熱田区白鳥1丁目2-17) 地下鉄名城線「神宮西」駅より徒歩5分、JR東海道本線「熱田」駅より徒歩10分 ※境内と近隣に駐車場があります。 参加費 2,000円 参加方法 事前申込は必要ありません。 詳細はこちらから(第1講~第6講のレポートもご覧になれます)

(執筆/小川たまか、写真/馬場加奈子、協力/落合祥子)