【写真】子どもたちを笑顔で見守るまりかさん

「それではみんなで、いただきまーす!!」

福島のまかない子ども食堂「たべまな」には、毎週月曜の18時になると、子どもと大人の元気な声が響きます。

ここは子どもたちは「何かできることでお手伝いをする」のと引き換えに、無料で温かいご飯を食べることができる食堂。子どもと大人が混じり合い、それぞれが思い思いの過ごし方ができる、安心安全な”居場所”です。

この暖かな場は、たった一人の女性の強く優しい想いから生まれました。

単に居場所をつくるだけでなく、地域のなかでサポートが必要な人を適切な支援や専門家へ結びつけてている素晴らしい活動を、ぜひたくさんの方に届けたい。そう思い、私たちは福島に向かいました!

KAKECOMIが運営するまかない子ども食堂「たべまな」

【写真】食堂の入り口に立つまりかさん福島県白河市で活動するKAKECOMIが運営する、まかない子ども食堂「たべまな」。毎週月曜の午後15時か20時まで開いていて、誰でも好きな時に訪れてみんなでご飯を食べたり子どもが勉強できる場所です。

私たちが訪れたその日は、白河駅から徒歩数分の場所にある食堂を借りて行われていました。

代表をつとめるのは、白河市在住で一児のお母さんでもある鴻巣麻里香さん。組織に所属せず、フリーランスのソーシャルワーカーとして地域で活躍されています。

【写真】食堂へ続く真っ直ぐな一本道

実は1年前に麻里香さんがたべまなを始めるためにクラウドファンディングをしていたときに、SNSで偶然このプロジェクトを知った私。そこに綴られていた麻里香さんの想いに共感し、共通の友人のつながりでやっと訪ねることができて嬉しい気持ちでいっぱいでした!

麻里香さんはとても明るくて快活で、くしゃっとした笑顔が素敵な方。そして誰に対しても暖かな眼差しを向けると同時に、何かあったときには厳しい意見をしっかり発言できる意志の強さがある女性です。

オランダ人のお母さん、日本人のお父さんのもとに生まれ、容姿が日本人離れしていることから幼少期につらい思いもしたという麻里香さん。どんな人生を歩み、KAKECOMIの活動に至ったのか、オープン前のたべまなでお話を聞かせていただきました。

”ハーフ”が理由でいじめのターゲットになってしまった幼少期

【写真】笑顔のまりかさん
埼玉県で生まれた麻里香さんは、お父さんが転勤が多かったことで、幼少期から関東近郊の様々な場所へ引越しを繰り返していました。

麻里香さん:小学校5年生の夏休みに、両親が突然「田舎暮らしがしたいから、山の中に家を建てたの」って言い出したんです。私はぽかーんとしてました(笑)。それで栃木県那須群の驚くくらい山の中で、道なき道の先に家があるところに引っ越しました。

引っ越した先は田舎町、外国人も住んでいなければハーフの子もいません。

麻里香さん:私はできるだけ目立たず穏便に集団に入りたかったのに、先生たちがハーフが珍しいから浮足立っちゃって。全校生徒の前で先生が「皆さん、私たちにハーフのお友達ができました!」って発表して、私は挨拶させられたんです。もう初日から浮きまくってしまったので、そりゃいじめられますよね。

最初はクラスメイトの態度はハーフであることへのからかい半分だったものの、転校先での子どもたちにある暗黙のルールがわからず、クラスの輪を乱してしまったそう。そこから、崩れ落ちるようにいじめのターゲットになっていったのだといいます。

麻里香さん:「外人菌だー」とからかわれた時に、本能的に「私は母親が外国人で、見た目が日本人と違うからいじめられてるんだ」っていうのを感じました。だから、いじめを親に言うっていうことができなかったんですよね。親のせいでいじめられているとしたら、お母さんは悲しむに違いない。お父さんも山奥のログハウスでの生活にすごく夢を持ってきたのがわかるから、言ったら傷つけるよなあって思っていました。

幸い体を傷つけるようないじめはなかったので、とにかく我慢して授業中は勉強していればいいし、休み時間とか図書館に逃げればいいと耐えてきた麻里香さん。一番辛いのは、一人で食事しなければいけない給食の時間でした。

麻里香さん:その頃のことを思い出すと、私、自分の中にいないんですよ。これは他のトラウマがある方もそうなんです。過去を思い出すとき、つらい出来事がある場合って、自分の気持ちを自分の中に入れておくとつらいから自分をどこかに飛ばすんですよね。だから私は、小学校5年生の給食の時間を思いだすと、自分が給食を食べてるのを思い出すんじゃなくて、給食を食べてる自分を天井から見ている。そういう思い出し方をするくらい、感情のスイッチを切ってやり過ごしてきたんです。

多様な大人との出会いで居場所が生まれた

【写真】真剣な表情のまりかさん
麻里香さんはいじめがどのくらい続いたのかも記憶がないそうですが、最終的に我慢ができなくなり、ある日泣きながら学校から帰りました。ご両親が「何があったの?」と聞いてくれた瞬間、「今までこんないじめがあって、嫌がらせの手紙もいっぱいもらって」と、堰を切ったようにパアっと言葉が出てきたそうです。幸いご両親がすぐに学校に電話して、校長先生に麻里香さんへのいじめについて話をしに行ってくれました。

麻里香さん:その日のうちにクラス会があって、先生が教室で「誰ですか、こんなことしたのは」って言ったんです。そしたらみんな「ごめんなさい」って謝ってくれました。いじめは収まったんですけど、私の中に「もう信用できない」って感覚は残りましたね。結局みんなが言うのは、「みんながやってるから、私もついつい」という言葉。「最初に私がやりました」って言う人は誰もいなかったんです。先生も信じられなくて、「もう繰り返さないでいてくれれば、それでいいよ」というあきらめがありました。

小学校を卒業しても、小さな町だったのでほぼ同じメンバーで中学校に進むことに。結局「いじめが親と先生に報告された」という前例があったので、麻里香さんは「腫れ物に触るような扱い」を受けたのだといいます。親友もいなくて、自分の気持ちを打ち明けることもない。そんな寂しさを感じていた麻里香さんの支えになったのが、時々家を訪れる、両親の友人である”多様な大人”たちでした。

麻里香さん:両親が外国人のお友達がたくさんいて、毎週のように家に遊びに来て、ホームパーティしていたんです。いろんな国籍のいろんな価値観を持っている人たちが来てくれて!みんなと話すのはとても楽しくて、あるとき「あ、人間いろいろでかまわないんだ」って感じたんです。「どんな風に生きていっても大人になれるし、私は私でかまわないんだ」って。それからは、無理に学校に適応しなくていいやって思うようになりました。

空間としての居場所ではなく、多様な大人たちとの関係性の中で居場所を見つけた麻里香さん。「私はこれでいいんだ」という思いが生まれたからこそ、つらい時期を乗り越えることができたのだといいます。

もっと多様性が認められる地域にしたい

【写真】微笑みながらはなすまりかさん

中学では友人に馴染めなかったものの、高校になると新しい出会いもあり、気の合う友人もできて楽しく過ごすことができたそう。大学では国際社会学を専攻し、韓国に留学。韓国の近現代史や日本の現代史を研究して大学院まで進んだものの、ある日突然「自分のやっていることは誰の役に立つんだろう」と不安になったといいます。突然気力が途絶えてしまい、麻里香さんは大学院を休学して実家の那須に戻ることを決めます。

その後は、独自の価値観を持った若者が集まるカフェで楽しく働いていましたが、休学の期間終了に近づき麻里香さんは道に迷い始めます。「何かやることを探さなきゃ」と焦っていたところに、知り合いに「うちの施設でボランティアしないか」と声をかけられました。

麻里香さん:精神科のお医者さんで、当時は「援護寮」と呼ばれていた、精神障害があるひとたちの就労支援施設を運営されていたんです。牧場があって、精神障害を持っている人たちが、寮に集団で住みながら和牛を育てていました。誘われてすぐ「わかりました、やります」って二つ返事で承諾して(笑)。それがきっかけになって、精神科医療の業界にぽーんと入っていったんですよ。

その寮は当時、山奥に隔離されるように存在していましたが、院長がそれを地域に開いていこうという取組みをしていたため、麻里香さんに声がかかったそう。心の病がどういうものなのかを全くわかっていなかった麻里香さんにとって、施設での経験はとても大きな衝撃でした。

麻里香さん:初めて統合失調症の症状として起こる幻聴や妄想に対面して驚きましたが、あまりにもみんなユニークで多様性があって、私は感動したんですよ。ちょっと大変なことはあるかもしれないけど、この人たちがまちの中に住んでいたって、けっして人に害を与えるわけではない。なのになんでこの人たちが隠れて暮らしていかなきゃいけないんだろうって思いました。

施設で感じた思いは、子供の頃に持っていた「自分はマイノリティだから、社会の中で穏便に生きていくためには自分を偽らなくてはいけない」という経験とリンクしました。

「多様な人たちが内包されている地域こそ豊かなんだから、隔離してちゃいけない」

そう考えた麻里香さんは、改めて学校で精神医学や心理学、福祉を学び、地域のなかの相談センターの職員として働き始めます。そのなかで起こったのが、2011年の東日本大震災でした。

原発事故の被害を受け、放射能への心配や正しい情報を得られない不安などの正直な気持ちを麻里香さんが綴った「私がふくしまに暮らす、ということ」という文章があります。

たとえば、わたしたちの日常が誰かの犠牲と努力によって保たれている薄氷のような「安全」の上に成り立っているという当たり前の現実を、毎朝腹の底から理解するということ。

たとえば、明日にはこの家を遠く離れるかもしれない、と毎晩考えること。
たとえば、それでも明日もこの家で暮らせますように、と毎晩祈ること。

とにかく、娘の健康と幸せを祈ること。

あの黒煙が脳裏から離れないこと。

それでも、毎日をそれなりに楽しく暮らしていることを、誰かにわかってほしいということ。

毎日、怒ること。
毎日、祈ること。

ふくしまを代表するつもりも代弁するつもりもありません。これがわたしの、わたしだけのふくしまで暮らすということ。
(一部抜粋)

たくさんの共感を生みSNSで瞬く間に拡散されたこの文章は、まだ麻里香さんと出会う数年前の私も、心が震える思いで読んだのを覚えています。

麻里香さん:外からは「福島の人はみんな大変なんだ」っていう色眼鏡で見られていたり、逆に福島には「もう福島は大丈夫だから」って言いたい人もいたり。私も毎日不安だったけれど、「もう大丈夫」って思うこともありました。人の気持ちってすごく多様だし、何かの拍子にコロコロ変わっていくはず。なのになんだか多様性が認められていない感じがしたんです。そうじゃなくて「いろんな気持ちといろんな選択があって、みんな尊重されたいよね」と伝えたいなと思い、講演活動もたくさんしましたね。

その後、「福島が大変なときに対人援助職として働くんだったら、福島に関わらずしてどうするんだ」と考えたという麻里香さん。隣町から「ふくしまこころのケアセンター」の白河支所に通い、被災者支援、原発事故による避難者支援専門のメンタルケアに従事しました。

初めて経験した、つながりのない孤独

【写真】たべまなに置かれている多種多様な本

一方で、麻里香さんは震災前に、脳腫瘍があることがわかっていました。そして震災の1年後には腫瘍が大きくなってしまい、日常生活が出来ないくらいにまで症状がひどくなってしまいます。麻里香さんは、自分の病気と福島で暮らす子供の将来への不安で、徐々に精神的にも落ちこんでいきました。

麻里香さん:自分の病気でいっぱいいっぱいで、家事をやることすら必死で。仕事を辞めたほうがいいと家族からも言われました。でも病気になってから、主人やその両親との関係もあまり良い状態ではなくなっていたので、家にずっといることも耐えられなくて。仕事人間だったので「辞めたら私の価値はどうなるの?」って不安だった。社会とのつながりが途絶えちゃうのも怖くて、意固地になって仕事をしていたら、体がどんどんボロボロになっていったんです。

そして、病気と闘う真っただ中で離婚をすることに。職場がある白河に引っ越して、新しい生活を始めた麻里香さんが経験したのは、初めての「どうしようもない孤独」でした。

麻里香さん:白河に仕事では来てたけれども、暮らしたことはなかったので友達が全然いない。薬で病気の症状を抑えて仕事をしていたけれども、副作用でボロボロになって、結局家に引きこもる暮らしをずっとしていました。そのとき実感したんです、「孤立ってこういうことなんだな」って。寄って立つところが何ひとつない。一人で漂流して生きているみたい。

仕事でずっと精神医療・福祉に関わり、いろんな悩みを抱えている方の暮らしを支えるなかで何度も聞いた、「孤独だ」「つながりがない」という言葉。それがどういうことか今まで実感できていなかったけれど、初めて「つながりのないという孤独」を自身が体験したといいます。

麻里香さん:繋がる場所はあるんですよ。たとえば女性相談センターがあったり、親がいる、医療機関がある。でも資源が点在していたとしても、「自分からつながりを作る力」がもう奪われてしまっているんですよ。すごく孤独で寂しい、なんとかしたいって思うんだけれども、自分から誰かとつながるために動けない。心が開けない。

支援側にいると、「つながりがないんじゃなくて、自分で出て行かないからなのでは」って思うこともありました。でも全然違う。「外に出て人とつながるって、実はすごいエネルギーいる難しいことなんだ」って気づいたんです。

つらいときに誰でも駆け込める居場所をつくりたい

【写真】明るい表情で話すまりかさん
その後、2014年の年末に幸いにも手術が成功。順調に体調が回復していった麻里香さんは、仕事に復帰することができました。だんだん白河でも友達が増え、いろんな人が支えてくれるようになっていったそう。ですが徐々に、地域で生きづらさを感じている人を、組織の仕事を通じて支援することに限界を感じていきます。

麻里香さん:とても孤独で誰かに話を聞いてほしい人たちには、震災の被災者かどうかは関係なく支援をしたい。でも、組織のルールでできないこともある。目の前で助けを必要としている人がいるのに助けられないのは、私はやっぱり嫌だなと思ったんです。

麻里香さんの出会った女性のなかには、自宅で理不尽な仕打ちを受けている女性もたくさんいました。なかには、家にいられなくなると子どもと一緒に深夜営業しているお店に車を走らせ、駐車場で一夜を過ごしている女性も。安心できる場所がない人たちの話を聞くなかで、麻里香さんは「やっぱりなんとかしたい、この地域に恩返ししたい」という気持ちが生まれてきたのだそうです。

麻里香さん:自分自身が病気だった時に、孤独を感じた経験があるので、やっぱり居場所とつながりづくりをやりたいなと思ったんですよね。もっと広く、この地域で活動したい。でもそれを実現できそうなところが、どこにもない。だったら「自分でやるしかない」と決めました。

「自分一人だけで出来ることってなんだろう」と考えたとき、何か大きなことはできない。だとしたらまず、対象者を絞ろうと麻里香さんは考えました。

麻里香さん:まずつながりと居場所の必要性が高いのって誰だろうと考えたら、”子ども”だったんですよね。大人ってなんだかんだ言って、腹を括れば逃げる力はあるんですよ。働けるし車の運転もできる。でも子供は、何か大きな困難が訪れた時に自分の力では逃げることができないですよね。孤立した時に一番行ける場所を求めているのは子どもだなって。女性や障がい者のサポートもしたかったけれど、まず子どもを対象にすることにしました。

【写真】静かに子どもたちを見守るまりかさん

麻里香さんには、長年地域でソーシャルワーカーとして働くなかで、ずっと家庭や子どもの貧困問題と向き合ってきた経験があります。それを生かして、どんな場所が子どもに必要かを考え抜きました。

麻里香さん:ひとつは食事。単にご飯を食べられない子もいれば、たった一人でぽつんとご飯を食べてる子もいる。みんなでご飯を食べる暖かな食卓って大事だなって思ったんです。

もうひとつは勉強。いろんな理由で学校に行けない子たちにたくさん出会ってきたなかで、学力が下がってしまうことが、学校に行けないことそのものよりも大きな問題だと気づきました。それは再チャレンジが難しくなるから。不登校だとしても学力さえついていれば、いつでもどこでも再チャレンジできるんですよね。

ちょうど東京では、ボランティアで集まった大人が子どもに美味しい食事を安価な値段で提供する「こども食堂」ができ始めた時期。そこから着想を得て、それなら手持ちの自己資金で半年は持ちそうだと考え、麻里香さんはチャレンジすることを決めます。

麻里香さん:とにかく食事と勉強は大事。そして、安心して人と繋がれることも大事。じゃあ一週間に一回、勉強を教えてご飯をみんなで食べる場所をつくるなら、自分一人でもなんとかなりそうだと思い、そのままの勢いで『KAKE COMI』を立ち上げました。

ちょっとの間だけでも駆け込める。 でも閉ざされているわけではなく、人や社会とのつながりやコミュニティが維持されていて、力をチャージしたらいつでもそのつながりの中に戻っていける。そんな場所にしたいという願いをこめて、「安全なかけこみ寺+コミュニティ」を略し「KAKECOMI」というプロジェクト名が名付けられたのです。

2015年4月、まかない子ども食堂をオープン

【写真】たべまなのパンフレット
麻里香さんは急いで準備を始め、知り合いのカフェを営業時間外に貸してもらえるようお願いし、毎週月曜日に開催することを決定。2015年4月には、まかない子ども食堂「たべまな」がオープンさせました!

麻里香さん:オープン初日、訪れた子どもは3人でした。その後チラシをスーパーに置いていただいたりしているうちに、「親戚の中に気になるお子さんがいる」とか、「ご近所で全然学校に行ってなさそうな子がいる」ってチラシを持っていってくれる方が出てきて。次は4人、次は6人と参加する子どもがどんどん増えていったんです!今は15人くらい来る時もありますね。

食堂で使う食材は、最初は個人で調味料を寄付してくださる方ぐらいしかいませんでした。でも徐々に、トマトの生産者さんが「今トマトはシーズンだから」と差し入れしてくれたり、そこから「知り合いに野菜作ってる人がいるよ」と紹介してくれたり。だんだんと関わる人の輪が広がっていきます。

麻里香さん:手伝いたいという友達が増えてきて、今はボランティアスタッフも増えてきました。地域の街角に子供の居場所ができたことを、みんな気にかけていてくれるんですよ。実際に食堂を運営しつつ、インターネットで情報発信をするようになったら、問い合わせもものすごく増えましたね。

現在はたくさんのスタッフの手を借りながら、オープン直後にクラウドファンディングで集めた資金や、企業からの協賛金などを元手に運営しています。

子どもも大人も思い思いの時間を過ごす

【写真】子どもたちと仲良く話すまりかさん

当日は私たちも、たべまなの1日を体験させていただきました!インタビューをしている最中にも、午後15時を過ぎると、少しずつ学校帰りの子どもたちや仕事を切り上げた大人が集まり始めます。

「こんにちはー!」

一番乗りで現れたのは、小学校6年生の女の子たち。麻里香さんに元気よく、「宿題多いんだよねー!」と言いながら算数の宿題を始めます。時々おしゃべりしたり、本を読んだりしながら時間を過ごします。

【写真】子どもの話を親身に聞くこうのすさん

中学生に高校生、20代前半の若者たちも次々集まります。

【写真】お互いに微笑むまりかさんと子ども

ポニーテールの似合う中学生のはなさんは、親戚からチラシをもらってここに通い始めることになったそう。友人関係で悩み学校に行くことが辛かった時期もあったけれど、ここにきて麻里香さんや他の大人といろいろな話をするうちに、「外でも安心できるところがあった」と嬉しくなったといいます。

【写真】調理師免許を持ち、エプロンを付けているごんたさん

調理師免許を持つ腕前を生かしてご飯をつくるのは、ごんたさん。

ごんたさん:初めて来た時から、暖かく迎え入れてくれたのが嬉しかったですね。調理師免許を持っていると言ったら、「ぜひ手伝ってほしい」と言われて手伝うようになりました。普段子どもたちと接する機会ってないので、こういう場所があるのはいいなあと思いますね。

【写真】料理の準備をするまりかさんと興味ありげに覗き込む女の子

料理がプロ顔負けの腕前の麻里香さんは、「せっかく食堂だから!」と毎回メニューにもこだわりがいっぱい。どんな食材が手に入るかによって、和食からカレーやパエリア、ラタトゥイユまで、様々なご飯をつくります。

この日の献立は、ご近所の農家さんがくださったトマトと玉ねぎをつかったトマトチキン煮込み、そして地元のパン屋さんが差し入れてくれた香ばしい匂いのパン!ごんたさんがリーダーをしながら、中高生の女の子たちも調理を手伝います。

【写真】料理の手伝いをする子ども

【写真】ご飯の仕込みをするごんたさん

【写真】ご飯の材料であるたくさんのトマト

一生懸命トマトの皮をむくのを手伝っていたのは、高校3年生の鈴木愛望さん。ハキハキとしっかり自分の思いを語ってくれる元気いっぱいの愛望さんですが、高校2年生とのときは精神的に気持ちが落ち込んでいて、学校に行けなかった時期があったのだそうです。

愛望さん:学校にはいけないけれどどこかでボランティア活動がしたいと思っていたとき、母がネットで見つけて教えてくれた子ども食堂を思い出したんです。2週間迷ったけど、決意して自分で連絡したらすぐ返信が返ってきて。そこからは毎週来るようになりました。

調理を手伝ったり、勉強を教えたり…。ここに来る子どもとはなしているうちに、「人の話を聞いたり、相談に乗るのが好きだな」と気付いたそうです。

愛望さん:不登校だった経験があるので、学校に行きづらい子どもの気持ちはわかるし共感できるんです。「自分はこうしたんだよ」ってアドバイスしたとき、少しでも子どもたちの悩みが解消されていたらいいなあって思います。

【写真】真剣な眼差しで話してくれるたべまなに参加している子ども

自分にとって、麻里香さんは恩人だという愛望さん。「これからどうしていこう」と悩んでいたけれど、たべまなで活動しているうちにやりたいことが見つかったのだといいます。

愛望さん:居場所を求めてる子ってどこにでもいると思うんです。だからどの地域にもたべまなみたいな場所ができたらいいなと思うので、大学にいったら仲間と子ども食堂をつくりたいです。

これからの夢を語る愛望さんの目は、とてもキラキラとしていました。

【写真】メニューを看板に書くたべまなのスタッフとまりかさん

【写真】笑顔でたべまなの看板を装飾するスタッフのメモさん

麻里香さんからのお願いでたべまなの看板を描き始めたのは、イラストレーターとして活動している25歳のmemoさん。心がほっこりするかわいらしいイラストが、たべまなの楽しい雰囲気にぴったり!

memoさん:ここはたまたまネットで知って来たんです。昔先生の道を目指していたこともあったので、いろんな子どもの話を聞きたくって。初めて来たときから、麻里香さんは暖かく見守ってくれました。たべまなは誰が来ても受け入れてくれる場所で、それは麻里香さんがいい雰囲気をつくってくれてるからだと思います。

笑顔のめもさんとたべまなの看板

「ここは小さい頃の自分が来たかった場所」だと、memoさんはいいます。

memoさん:小さいとき、学校にも家にも居場所がなくて、自分の心を癒してくれる大人がいませんでした。こんな場所があったら、自分も明るくいれたのかなって。ここにいると、昔の自分が癒されているような気持ちになるんですよね。話を聞いてくれる大人がいなくて寂しい思いをしたからこそ、今は悩んでいる子どもの話を聞いてあげれる自分になりたいって思ってます。

自分にも思い悩んだ過去があるからこそ、子どもたちの力になりたい。そんなmemoさんのような大人がいることが、たべまなの誰もを包み込むような優しい空気をつくっているのだと感じます。

好きなことでお手伝いをすることが強み探しになる

【写真】まりかさんと折り紙をする子どもたち

「はーい!折り紙折るの得意な子は三角に折るお手伝いお願いしますー!」

麻里香さんが子どもたちにお願いすると、折り紙を折るのは得意だという子どもたちが数人手伝いを始めます。

『たべまな』のおもしろさの一つとして、子どもは「好きなことで手伝う」というルールがあり、お手伝いへの「まかない」として無料で美味しいご飯が食べられるというルールになっていること。多くの子ども食堂は300円ほどの参加費を取ることがほとんどですが、子どもにとっては大きな金額のはずなので、これで参加のハードルはぐっと下がります。

実はこのルールがあることによって、単にお手伝いというだけではない効果が生まれているのだといいます。

麻里香さん:まず子どもたちとは最初に「たべまな」でどんな風に過ごしたいかを話すんです。そしてその時に「どんな手伝いができる?」「何がしたい?」と聞いていくと、その子の強み探しになるんですよね。

もともとは、オープン当初に来たある1人の男の子が料理を手伝ってくれたことが始まりだったそうです。

麻里香さん:料理なんて全然したことがない子だから、包丁の使い方も危なっかしくて、包丁の下に指があるから「それあなたの指なんだけど」って言って(笑)。私も手伝ってもらってるはずがヒヤヒヤしてしまってたんです。でも自分が作ったご飯を他の子どもや大人たちが食べて「おいしいよ」って言ってくれた時に、彼がすごく生き生きしはじめて!次からは自分でエプロンを持ってきて、「何やりますか?」ってどんどんやることを探して積極的になっていきました。

子どもたちにとって、大人にご飯をつくって食べさせてもらうのことは、最初の入り口にすぎない。本当に子どもたちにとってプラスになるのは、誰かのために何かをして感謝される体験なのだと麻里香さんはいいます。

麻里香さん:子どもを支援する活動は、どうしても「子どもを助けたい大人と助けられる子ども」という関係性が維持されてしまいがちです。でも大人に守ってもらうのは嬉しいけれど、与えられてるだけだと子どもは支援されるポジションに居続けるわけですよね。でも出来ることで役に立ち感謝されて、初めて子どもは生き生きしていく。自分の力を、自分で獲得していけるっていうところがあると思うんです。これって、与えられるより与える方が人は幸せになれるってことそのものだなと思います。

みんなで食卓を囲んで「いただきます!」

【写真】机を拭いて夕食の準備をする子どもたち

18時近くになると、みんなで協力してつくったチキンのトマト煮込みが完成!

「さあみんな、テーブルを拭いてくださーい!」

麻里香さんが子どもたちにお願いすると、みんなささっと宿題や本を片付けて、付近を手にテーブルを拭き始めます。

「自分の飲み物は自分で準備してねー!」

【写真】真剣な表情で料理をするごんたさん

【写真】笑顔で料理が揃うのを待つ子どもたち

子どもたちがコップにお茶やジュースを注いでいる間に、大人のスタッフたちが配膳をします。みんなで協力してつくったチキンのトマト煮込みとパンが運ばれていきます。しっかり煮込まれていて、とっても美味しそう!

【写真】チキンのトマト煮込みとパン

「それではみなさん、いただきまーす!」
「いただきまーす!」

【写真】手を合わせていただきますと言う子どもたち

小学生も中高生も大人も、みんなでテーブルを囲んでごはんの時間がスタート!味が染み込んだチキンのトマト煮込みと丁寧に作られたパンを、みんな美味しそうに笑顔で食べ始めます。なかには何度もおかわりする女の子も!

【写真】嬉しそうに料理を見る子どもたち

【写真】笑顔でご飯を食べる子どもたち

ごはんの途中にも続々と人が集まり、15人ほどの参加者に。カウンターで悩み相談をする中学生の男の子や、他地域で子ども食堂を開くために見学に来た大人もいました。子どもが無料でご飯を食べられる代わりに、大人は自分の好きな額をカンパすることで参加できます。

【写真】たべまなの看板

多世代が集まり自然に会話が生まれている様子を見て、たべまなが地域の人にとって愛すべき居場所になっているのだということを実感しました。

様々な専門性を持った大人が集まり子どもをサポート

【写真】たべまなの看板の横で微笑むまりかさん

みんなで食卓を囲むご飯の時間がメインではあるものの、たべまなはけっしてご飯が食べられるというだけの場所ではありません。様々な専門性を持った多様な大人たちが、子どもや家庭に関わっていることが強みになっているのです。

麻里香さん自身がまずセラピストであることで、困りごとがあってどうしようもない方が相談に訪れます。もちろん子どもにまつわる相談もありますが、大人自身に関わることも多いそう。

麻里香さん:私自身せっかく様々なセラピーを学んできたので、それを生かそうと思ったんです。結局そういうスキルを持ちながら、病院や組織の枠組みの中で活動していることが多くて、地域で自由に動ける人材って日本にほとんどいないんですよ。

麻里香さんに相談に来る方は、生活に困っている方も多く、お金をもらうことが難しい場合もあるのだそう。麻里香さんは自分の生活が厳しくならないようバランスをとりながら、なるべく料金を下げたり、時には無償で相談に乗ったりもします。

麻里香さん:相談に来てくれるひとりひとりの人生から、私もたくさんのことを学ばせてもらってるんですよ。だから相談や支援の対価はお金じゃなくてもよくて、何かしら活動に協力してもらうでもいい。その人も私自身も、生活を傷つけなくていいようにしています。

【写真】楽しく話しながらご飯を食べる子どもたち

たべまなをボランティアとして支える大人たちのなかには、弁護士や学校の先生、ハローワークの相談員、行政や医療関係者など様々なひとが。ふらっとプライベートで遊びに来る場合もあれば、自分の職業については言及せず参加する場合もあるそう。たとえば役場の人にとっては、役場の窓口で出会えないけど困難を抱えている方と直接出会える場所、今起こっている問題を知れる場所でもあるといいます。

麻里香さん:公的な支援はどうしても均一性が大事になってしまうので、一つの家庭だけに特別に関わることってできない。でも、たべまなが問題を可視化して、公的支援に繋いであげたらいい。それでもこぼれ落ちてしまうたのなら、さらにここがまたそれを救いあげればいい。いろんなセクターと重なりあうように協力していきたいと思っています。

地域の多世代が集まり繋がりをつくるだけでなく、その繋がりを土壌にして、地域に眠っているたくさんの困りごとを、様々なセクターの人たちで協力し解消していく。これがたべまなが地域で生み出している価値なのだと思います。

麻里香さん:専門家でないとしても、ここで先生でも親でもない大人に出会うことは、私が子どもの頃に家にたくさん外国の友人が遊びにきてくれたことで感じたのと同じ効果があるみたい。多様な考えを持っている大人に出会うと、子どもの世界が広がる。子どもたちの中には、大人に「どうしていじめってなくなんないの?」って問いかける子もいたりします。

そして関わっている大人のボランティアスタッフからよく聞くのは、「子どもの頃にこういう場所があったらよかったのに」という言葉なのだそうです。

麻里香さん:ボランティアのなかには、昔自分が何かの当事者だった人も多いんです。自分自身が不登校で苦しんだり、あるいはシングルマザーだったり。それぞれ困難を抱えていて、今までの福祉の枠組みの中だと支援をされる側、社会の中で助けられる側だったわけです。でも私も含めてそういう人たちがチームになって、社会に貢献する側になることって、すごいエンパワーメントなんですよ。自己肯定感が回復していくんです。

「恵まれている大人がかわいそうな子供たちを助ける」という仕組みではなく、自分たちの困りごとを「こんな場所があったらいいな」に変えて、自分たちの居やすい場所をつくっていく。それがたべまなのやり方です。

つらいときに思い出してもらえる居場所に

【写真】真剣な眼差しでメニューを見るまりかさん
では実際訪れる子どもや親御さんが抱えているのは、いったいどんな悩みなのでしょう。一番は、「居場所がない」ことだと麻里香さんはいいます。

麻里香さん:一番多いのは、学校に行けないっていう子どもと保護者からの相談です。学校って、あえて言えば「たかが学校」であって一つの場所にしかすぎない。でも子どもたちにとっては、すごく大きな場所で、自分の全てになっちゃってる場合もあります。だから学校から弾かれると、社会から弾かれたように思ってしまう。とはいえ地域に他に居場所の選択肢もないから、家に引きこもるしかない。子どもが家族とうまくいってない場合もありますから、そうなるとさらに部屋に閉じこもるしかなくなってしまいますよね。

学校以外の居場所が求められているからこそ、いわゆる「サードプレイス=家庭でも学校でもない第三の居場所」となる場所の必要性を感じたという麻里香さん。KAKECOMIでは積極的にカウンセリングをすることはありませんが、子どもとただしゃべっているなかで、ポロポロと悩みを話してくれるようになるのだそうです。

麻里香さん:いろんな子が来ていて、何か生活上や学校での問題を抱えている子もいれば、特に困難はないけど思春期らしい悩みを持っている子もいる。でもここでは、何かを持っていたとしても持っていないとしても、みんな「ただの子ども」なんです。

子ども食堂というと「貧困家庭の子どものための場所」という認識をされている場合も多いですが、麻里香さんはけっして子どもが貧困状態かどうかは関係ないといいます。

麻里香さん:だって順調そうにしていても、今の世の中、いつつまずくかはわからないですよね。私自身が、病気と離婚というだけで孤立状態に陥った経験がありますから。大人にとっても子供にとっても、今の社会って本当に再チャレンジが難しいと思います。一回つまずいてしまうと、誰でも孤立状態に陥る。

大人の社会も不安定で、親が安心して働き続けられる社会ではない状態。子供の貧困には親の貧困が大きく関わっているので、どんな子どもも何かの折に生きづらさを抱える可能性を持っていて、100%安心はありえません。

麻里香さん:いつ病気になるかもしれない、事故に遭うかもしれないっていういろんなリスクがあります。だからどんな子でも孤立した時には、「あっ『たべよ・まなぼ』があるじゃん」って、思い出してもらいたい。だから私たちは「どんな子供でもどうぞ」っていう姿勢。話したい時は聞くけれども、別に話したくない時にはかまわないよって伝えてます。

学校に行けていなくてもその子はその子

【写真】笑顔で話すめもさんと子ども

たべまなは現在、来る頻度はそれぞれですが、34人のお子さんがとつながっています。

ここに通うことで子どもたちに起こった変化を聞いてみると、まず一つめは「学校に行くのがつらかった子どもの多くが、行けるようになったこと」なのだといいます。参加し始める時点で、半年以上長期欠席、不登校状態だった子が9人いましたが、なんとそのうち8人が今は学校に行っているそうです。

麻里香さん:私からしてみれば学校に行けても行けなくてもその子はその子なので、学校に行かない理由は聞かないんです。ここは学校に行けることを目標にしていなくて、私は「別に学校は行かなくていいよ」っていう考えです。でも子どもたちと何気なく話すうちに、「いじめられて辛い」などの言葉がぽろっと出てくることがあるんですよね。

子供の世界は学校か家庭かしかないので、学校にいられなくなることは「自分は必要とされてない、ダメな人間なんだ」と思ってしまうほどインパクトが大きいこと。でも学校以外に居場所ができれば、子どもは変化していく場合があるのだといいます。

麻里香さん:つまり「学校ってさ、いろんな場所の一つにすぎないよね」って気づいてもらう。それによって子どもの中で学校の占める割合が減って、かえって学校に行けるようになったりするんですよね。学校がダメでも、居場所があるからいいやって。結局人って、ちゃんと安全基地がないと冒険できないと思うんですよ。

もし子どもの話を聞いて大人が介入しなければ解決しないいじめがあると判断した場合には、積極的に教育委員会や学校、家庭に働きかけ、改善の方向に導くこともあるそう。

一方で、「ここに来れば学校に行けるようになる」という期待が広がりつつあることが、懸念点でもあります。学校に行けるようになった子どもの数として結果は出ているものの、けっしてたべまなは「学校にいけるようになるための場所」ではないことを理解してもらう必要があると麻里香さんはいいます。

各地にいろんなカラーの子ども食堂をつくりたい

【写真】ベンチに座りお話をするまりかさんと子ども

たべまながこれからの課題として抱えているのは、多くの子ども食堂と同じく、「一番必要性の高い子どもと繋がれない」ということです。

麻里香さん:本当に貧困状態にあったり孤立しているとしても、離れた場所に住んでいたり情報と出会う機会がなければ、ここに子どもは一人でなかなか通うことはできません。行こうかなって思ってみたとしても、実際に行くにはかなりのエネルギーが必要です。それに親御さんも精神疾患などいろいろ課題を抱えていると、チラシを見たとしても他にいっぱいいっぱいで意識が向かない。

人に裏切られるという経験を繰り返してきた人は、誰かに助けを求めても無駄だと考え、人を信じられなくなっている場合もあります。子どもも「大人を信頼することができた」という経験がなければ、安心して繋がれません。今後は、市の生活保護や子どもの支援を担当者などと繋がりが強くして、地域ぐるみで今困っている人たちに関わっていきたいと考えているそうです。

麻里香さん:実はここに来られなくなってしまったお子さんもいるんですよね。けっして何か不快な目にあったというわけではないんですが、求めるものが違ったり、どうしても人の集団なので性格が合う合わないが出てきてしまう。それはしょうがないことなのかなとは思いつつも、すごく心苦しいんですよね。でも今私たちが心苦しさに負けてはいけなくて、その心苦しさを持ちながらもやっていきたいことがあるんです。

【写真】たべまなの看板

誰でもこられるように、ルールをつくって今来ている子たちのカラーや個性を失わせることはしたくない。そうすると、たべまなのカラーを心地いいと感じられる子どもは来られるけれど、そう感じない子は来るのが難しくなってしまう。そのときに今、他に行き場所がないのが現状です。

麻里香さん:「たべまなは合わなかったけど、こっちは居心地がいいな」と子どもが思える選択肢が増えていったらいいなと思います。だから各地にいろんなカラーのこども食堂が出来ればいいですよね。現在のボランティアベースの任意団体では、それぞれ生活を傷つけない範囲で出来ることやっていこうという理念なので少しずつですが、仲間を増やしていきたいです。最終的には、私たちが各地を移動して別の場所をキャラバンして、その地域でこども食堂をやってみたいっていう大人と繋っていきたいです。KAKECOMIが各地でのたべよ・まなぼの展開をバックアップしていくようになりたいですね。

その子がどんな風になりたいのか、どんな場所を求めているのかによって選択肢が持てるくらい、多様な居場所をつくっていくことがKAKECOMIが実現したいことです。

麻里香さん:どんな困難があったとしても、どこに生まれ育ったとしても、それが原因で何かを諦めるっていうことがない。ライフチャンスが制約されない社会の実現が、活動のゴールとして目指しているところですね。

「つらいときには必ず誰かが助けてくれる」という経験を子どもたちに

【写真】とびきりの笑顔を見せるまりかさん

人が生きていくのには、様々な困難があります。子どもたちがこれから大人になって、この世界で生きていくのに、一番必要なことはなんなのか。麻里香さんは、それは「つらいときに誰かが助けてくれた」という経験なのだといいます。

麻里香さん:私は子供の頃に、すごいいじめにあった時に、実は自殺を考えるくらいつらかったんです。そのくらい危機だった私を、両親が最後の最後で助けてくれたんです。そのとき、「もっと早く助けを求めていればよかったな」って思ったんです。だから子どもの時に「ものすごくつらかったけど、身近な人にちゃんと助けてもらった」という体験っていうのが私の中にあるんです。そのおかげで、完全に自分を見捨てないんですよ。

実は病気と闘っていたとき、麻里香さんは「何もできない自分はダメ、何か価値のあることをしないといけない」「みんな何でもできる有能な私が好きなんだ」と自分を責めたときもありました。

麻里香さん:でも私が病気でボロボロで何にも出来なくても、誰一人自分から離れていかなかったんですよ。たくさんの人が応援してくれた。この2、3年は、こんなに苦しい思いをして生きててもしょうがない、もう死んだ方がましだって何度も思いました。でも最後の最後で、私は自分を手放さない。必ずなんとかなるっていう希望がある。

すごいシンプルですよね。つらい時に必ず誰かが助けてくれるっていう体験があるから、希望が持てるんですよ。子どもたちにとってその経験って、将来生きる軸になってくるんだろうなと思っています。

たべまなでは、子どもたちが「悩んでつらかったとき、誰かが助けてくれた」という経験をつくりたいと麻里香さんは考えています。

麻里香さん:大人が無理をしてつくったこども食堂に子どもが来てもしょうがないと思っているんですよ。私たちが自分の生活に負担をかけたりせず肩の力抜いて、いい意味で”適当”に出来ることをやっている姿を見て、子どもたちにも「そんな適当に生きてられるんだ」ってくらいに思ってくれればいいかなって(笑)。子どもの方が宿題や習い事もあるしみんなと仲良くしなきゃいけないって言われる。子供の方がずっと抱えてるんですよね。

「力抜いても大人になれるよ、大人になったら好きなこともできるよ。だから生きて大人になんな」って。そう伝えたいですね。

どの地域にも当たり前にある安全な居場所に

【写真】温かい眼差しで子どもを見るまりかさん

たべまなで出会った子どもたちの言葉には、たべまながどういう場所かをよく表している言葉がたくさんありました。

ここでは「ありがとう」っていう言葉をたくさん聞くんですよ。普段の生活ではあまり聞かないんですけど、みんな悩みがあったとしてもここで相談したら、最後は笑顔になって「ありがとう」って言って帰る。

「ありがとう」が多い場所って素敵だなあって思うんです。

「誰かがかわいそうだから支援する」という場所ではなく、ここに来る人同士の思いやりや支え合いによって、心が癒される。誰かに「ありがとう」と思うから、そのぶん誰かの力になりたくなる。この場所ではそんな優しさの循環が生まれているのだと思います。

そして宿題をしている小学生の女の子に、私が「どうしてここにきているの?」と聞いたとき。女の子はこう答えました。

来たいから、来てるの。

私はこの言葉にはっとさせられました。大人がどんなに「子どもを支援したい」と必死で場所をつくったとしても、子どもたちが「行きたい!」と心から思えないと意味がないんですよね。麻里香さんの言うとおり、子どもたちの声を聞いて、子どもたちの向かうほうへ一緒に変化していかなければ。

たべまなは、「自分たちが行きたいと思える場所を、自分たちでつくっている」という実感が子どもたちにあるからこそ、「自分の居場所」になっているんだと思います。

安心して訪れることができる、でも地域の様々なセクターの人が関わることで必要なサポートにつなげることもできる。こんな地域の”安全基地”が全国に広がりを見せ、どこの地域にもある当たりまえの居場所になってほしいなと感じます。

麻里香さんの暖かな思いやりと強い決意から生まれたたべまなは、たくさんの共感を得ながら、大きな輪をつくっていきつつあります。9月から自分たちで改修作業をおこなった新たなスペースにたべまなを移転させ、KAKECOMIのNPO法人化を目指して活動していくそう。

これからの活動を楽しみにするとともに、私も応援を続けたいと思います。どんな子どもたちも、安心できる居場所を胸に笑って過ごせる未来を願って。

【写真】笑顔のまりかさんとライター

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まかない子ども食堂「たべまな」
住所:福島県白河市新白河2-24
問い合わせ:info@kakecomi.org

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(写真/馬場加奈子、協力/久保佳奈子)