こんにちは!soar編集長の工藤です。

社会的マイノリティに焦点をあてて情報発信をしているsoarには、「子どものころ不登校だった」「いじめにあっていた」という声がたくさん寄せられます。soarのテーマのひとつでもある「自分らしく生きること」には、子どものときの経験は大きく関わってくると思います。

そんななか、とあるトークイベントに登壇したときに、突然「soarいつも読んでます!」と初対面にもかかわらず手紙をくれたのがたかこさんでした。お花の可愛らしい便箋には、「学校に行けなかった頃の私にsoarを見せてあげたい」と綴られていました。

詳しく聞いてみると、たかこさんは中学生のとき学校に行かなかった時期があり、その後は定時制の高校に通学していたといいます。運営しているブログには、学校に行かなくなった子どもの頃の思いに加えて、もう一度学校に行こうと決め、悩みながらも勇気を持って一歩を踏み出す昔の彼女の姿がありました。

きっと学校に行けなくなってしまった、行かないと決めたひとはたくさんいると思うし、その子どもを心配し思いやる家族や先生もたくさんいると思います。自分の経験をもとに、子どもだけではなく子どもを支えるひとたちにも暖かなメッセージを伝え、力になりたいと願う彼女の思いはとても素敵!

思い起こせば自分も、学校を休みはしないまでも友達との関係がうまくいかなかったり、みんなに合わせるのがつらい時期もありました。学校になじめない、今いる場所で自分らしくいられない。そんな思いを持っているひとに、たかこさんの言葉はきっと何かヒントになるのではないだろうか。

そう思い、たかこさんに「学校に行かなかった」という経験をしたことでどんな人生を歩んできたのか、綴ってもらうことにしました!

友達に合わせることがつらかった子ども時代

【イラスト】笑顔で鼻歌を歌うたかこさん

はじめまして、こんにちは!「『学校に行かなかった私』から見える世界」というブログを運営している、たかこです。私は中学二年生のときに、「学校に行かなかった」という経験があります。

それだけではなく、実はニート・フリーター、高校中退、定時制高校を経験、というちょっと変わった教育歴の27歳なんです。

もしかしたら、私と同じように学校に行けない、行かなかったことで悩みを抱えている方ってきっとたくさんいるんじゃないかなあと思います。今日は、私の経験をみなさんにお話できたらと思います。

私は小学校のときから、「学校めんどくさいなあ」と思う学校嫌いな子でした。一人遊びや本を読むのが好きで、無理して友達もつくろうと思わなかったし、「女の子のグループって面倒なことも多いなあ」と感じていたことを覚えています。

社交的な兄と妹とは対照的だった私を心配したのか、母にはいつも「ちゃんとこども会とか行って友達つくらないとダメだよ」と言われていました。

最初は気にしてなかったんですが、言われ続けるとだんだん、「一人でいるのが好きな私は、ダメなんじゃないか」と思い始めてきて、人目をすごく気にするようになったんです。それからは、どんどん友達に合わせるようになっていって。徐々にマイペースに過ごせないストレスがたまっていき、当時は「学校は我慢して通うもの」と思っていました。

「もう無理だ」と限界を感じて不登校に

自分に嘘をついてなんとか小学校は大きな問題もなく卒業し、中学校に進学。それでも相変わらず「学校って面倒だなあ」と思いながら通っていたのですが、中学2年生の時にとうとう学校に通えなくなりました。

その原因は、いじめです。はっきりとした理由はなく、もともと私の友達がいじめられていて、対象が自分に変わったという感じでした。

私も最初は、「いつかまた違う子にターゲットが変わるだろう」と思っていたんですが、中2の5月に始まったいじめは、夏休みが終わっても続いてしまい・・・。クラス中から無視されたり、上履きがなくなって自分のお小遣いで買ったこともありました。

今振り返ると、当時私はものすごく過敏になっていました。誰かが話していると、自分の悪口を言っているように思えてしまったり、視線がこわくて前を向いて歩けなくて、学校にいる間中「何をされるかわからない」という恐怖心でいっぱいでした。

もともと学校が嫌いだったところに、いじめで拍車がかかって、身体的にも限界がきて。私は中学2年生の11月に「もう無理だ」と限界を感じて、学校に行けなくなりました。

「学校が楽しい」と思えない自分が恥ずかしかった

「もう学校に行きたくない」

中学2年の11月、リビングで母と二人だったときに、私、勇気を振り絞って言いました。ものすごく緊張して、震える声だったと思います。でも、母は突然のことに戸惑い受け止めきれなかったようでした。

私にとってはそれもすごくショックで、部屋で布団にもぐりこんで、声をあげて泣きました。そのまま、最初の1週間は、家族にも会う気になれず、自分の部屋に引きこもっていました。

父も母も最初は優しくしてくれていたのですが、1週間もずっと家に居続けると「いつ学校に行くの?」と毎日のように聞くようになりました。学年主任の先生が家まで来て、先生に「こんなに親を悲しませたらだめだよ」と言われたことも。

もしかしたら、私が「いじめられてる」と言えていれば、違っていたのかもしれません。でも、いじめられるような自分、みんなと同じように「学校楽しい」と思えない自分が情けなくて、恥ずかしくかったんです。親や先生を悲しませたくなくて、言えなかったんです。

それからは、基本的には家にいて、時々保健室や相談室に登校する生活をしていました。登校しても、どうしても行くのが怖くて校門をくぐれずにその場に立ちすくむことも。結局卒業まで教室にはほとんど戻らず、いじめを誰かに伝えることもなく、中学校を卒業しました。

高校に行かなかったことで感じた生きづらさ

中学校を卒業した後は、一度全日制の高校に入りました。「高校でやり直すんだ」という思いから、不登校の間も好きな教科の勉強は続けていて、なんとか合格できた高校に入学をしたんです!

でも、中2の秋から卒業までの約1年半「学校に通う」という習慣から遠ざかってしまっていたので、高校に通うだけで毎日ぐったり疲れてしまいました。高校までの電車やバスの人混み、人の話し声もすごくストレスでした。

それ以上に心配だったのは、同じ中学から進学した同級生がいたことによる、「不登校だったことを言いふらされたらどうしよう」ということ。実際に高校1年の7月くらいには、どこからかばれてしまったのか、クラスメイトの態度がよそよそしくなっていったんです。

「もう、やり直すのは無理だ」

心身ともに疲れ切っていた私は、そう思って、高校1年生の10月に中退しました。

母と中退届を提出した帰り道、「こんなダメな子でごめんなさい」という気持ちでいっぱいでした。悔しい以上にもう全て捨ててしまいたい気持ちで、苦しかったです。

その後半年間は、学校にも行かず働かない時期とフリーターを経験して、本当だったら高校2年生になるはずの4月に定時制高校に進学しました。

「せめて高卒の資格はほしい・・・」

そう痛感したのが、定時制高校進学のきっかけです。

アルバイトを探そうと思ったけれど、20ケ所あたっても「高校中退者の私」を雇ってくれるところは1つもなかったんです。「高校に通っていない子を雇うのは難しい」と言われることもあり、学校を中退した子に対する世間の厳しさを思い知りました。

定時制高校で出会った本当の「友達」

【イラスト】友人と楽しそうに話すたかこさん
入学した定時制高校1年目は、学校に通うことでいっぱいいっぱいで、実はほとんど記憶がありません。一応友達はできたけど、この時はまだちゃんと信頼できていなかったと思います。

それでも、ときどき休みながらも1年通って進級することができました!私にとっては、「学校にちゃんと通って進級する」というのが中学1年生ぶりだったので、快挙ものです。(笑)

それが自信になって、2年目からは「何かしてみたいなあ・・・」と気持ちに余裕が出てきました。

その頃から、「とりあえず一緒にいる友達」はだんだん「放課後話し込むような友達」に変わっていきました。ちょっとずつではあるけれど、自分のことを話せるようになっていったんです。

中学でいじめられた経験から、友達なんて自分にはできるのかな…と思っていた自分がいました。なので、放課後一緒に帰ったり、廊下で話しこんだり。漫画で見たような「友達」との時間ができることはすごく嬉しかったです!

友達と話すうちに、みんな何かしら事情があって定時制に入学していることがわかってきました。同じように不登校だった人、中退している人、一人親家庭の人、家計を助けている人・・・。

「大変なのは、苦しんでたのは、私だけじゃなかったんだ」

そう思えた時の、恥ずかしさと、安心感は、今でもよく覚えています。

私、不登校を経験してから、ずっと、「私はひとりだ」と思ってきました。誰かに自分の気持ちを話しても意味がない、「こんな苦しい思い、まわりの人はしていないんだ」って。でも、みんなと話すうちに「ひとりじゃなかったんだな」って、初めて思えたんです。

いろんな人がいて、いろんな世界があると気づいた

そして、定時制高校に入ったことでこんな風にも思うようになりました。

「異文化ってよく外国のことばっかり言うけど、日本の中にも、こんなに身近にもいろんな人がいて、いろんな世界があるじゃん!」

私が入学した定時制高校には比較的色んな年代の人がいたり、経歴もいろいろ。今までの学校では「みんなと一緒に、普通じゃなきゃ」って意識が強かったのですが、私にとっては「みんなそれぞれの道を歩いているんだな」と感じられて、とても居心地がよかったです。「何でこんな大切なことに気づけなかったんだろう」という疑問も、その時に生まれてきました。

ちょっとずつ人と関係を築けるようになってきて、定時制2年目の夏休み前には「友達と会えないのさみしいなあ」と思えるようにすらなっていました。小学生の頃から「学校面倒だなあ」と思ってきた私が、まさか「学校楽しい」と思える日がくるなんて!

ただ、定時制が居心地よくなればなるほど、「この場所を離れたくない」という気持ちも増していきました。当時の私にとって、卒業するということは、「自分をいじめたり、苦しめてきた人のいる社会に戻っていくこと」だったんです。だから、ものすごくこわくて、ずっとこのままでいたいなって思ってました。

でも、わかってはいたんですよね。自分で決めなきゃいけない、自分で頑張らなきゃいけないって。ちょうど、小さい頃から私のことを見てくれていた、母の友人のおばさんに「たかちゃん、本気で考えなくていいの?」と言われたこともあって、真剣に考えた結果、私は大学に進学することに決めました。

大学は、定時制高校での経験から感じた「日本の中にだって本当は『異文化』みたいなものがあるんじゃないか」という直感を頼りに「異文化間教育学」という分野を見つけました。カリキュラムに含まれていた「日本の中の多様性」という言葉に惹かれ、第一志望の大学一直線の受験勉強の末、進学しました!

多様な生き方を探求していた大学時代

上京して国際日本学部という学部に入学。大学生活では、和太鼓サークルに所属して3年生の9月末の引退まで青春してました!異文化間教育学のゼミに入って、Human Libraryという図書館イベントを企画運営したり、社会的マイノリティの方々へインタビューしたりしました。

大学3年生の進路選択の時期になったとき、「私、本当にこれでやりきったのかな?」という疑問が出てきました。私に「日本の中の多様性」を考えるきっかけをくれた定時制高校や、不登校について探究したいと思い始めた頃、高校でキャリア教育の授業を提供しているというNPO法人「カタリバ」を教えてもらったんです。

カタリバの授業は、大学生など少し年上の先輩が高校生に自分の人生を語ったり、車座になって一緒に語ることで、高校生の意欲を引き出し将来の行動を促すキャリアプログラム。

「自分で役に立てることがあれば」と思って説明会に行くと、定時制の高校にも行けるようなので、参加してみることにしました。

そして、いざ定時制の高校に行って自分の経験を話したり高校生と語り合ってみると、高校生はこんなことを言ってくれました。

「私のこんな気持ちわかってくれる人初めて」
「たかちゃんがいたから大学目指そうと思えた」

その時に思ったんです。「学校に行かなかった人が感じていること」って、経験した人にしかわからないかもしれないって。

結局私は、大学院に進み、「定時制高校の多様性」をテーマに、インタビューやフィールドワークを通じて研究をしました。卒業後は、企業研修を提供する民間企業に就職しました。

定時制高校で一緒だった友達が社会人になって早々に仕事を辞めてしまったり、休職したりするのを見て、「これまで学齢期の人の教育とかを見て来たけど、その先の会社や組織の中での人を育てるってどうなってるんだろう?」と興味を持ったのがきっかけです。

学校に行かなかった私だからこそ伝えられることがある

【イラスト】女性と和気藹々と会話しながら、パソコンで文章を打っているたかこさん

今年の8月からは、「学校に行かない、という経験をした人が感じていること」について発信するブログを運営しています。きっかけは、NPOでの経験と社会人になってから参加している「不登校の子の親御さんの会」での経験が大きかったと思います。

ある定時制高校に行って、「卒業して、普通の社会に戻るのが怖いって思ってた」と高校生に話したとき、それを聞いていた先生が「生徒がこういう気持ちだったのかもしれないって、初めて知りました」って話しかけてくれたことがありました。

不登校の親の会に参加したときは、「たかこさんが、不登校期間中に学校行ったときに『なんだ、学校行けるんじゃない』って言われてショックだったって言っていたのを思い出して、今日は息子に『学校行って疲れたでしょう』って声をかけることができたんです!」って感謝されたことも。

私としては当時の素直な思いを伝えているだけだったけど、「学校に行かない経験をしている人の気持ちって、知る術が少ないんだ」という実感が積み重なっていきました。

あと、親や先生が「その子のため」と思ってやってくれたことでも、子どもだった私からしてみたら一番してほしくないことだったことや、学校のためにしているように見えることもあったんです。みんな行動の根源は、「子どもに幸せになってほしい」という思い。でもそれが逆方向に働いていて、すごくもったいないなって思ったんです。

でも、もし双方の橋渡しができたら、子どもの立場から「こんな風に感じているかもしれないですよ」と伝えられるきっかけがあったら。きっと「学校に行かない」ということで苦しむ子どもも親御さんも、減るんじゃないかと思いました。

正直に言うと、今でも、生々しい当時の気持ちをブログに書くのはエネルギーがいります。言葉を生み出すのが辛くて、悩むことも頭が痛くなることもあります。自分がどう思われるか不安で、ついつい綺麗な言葉になってしまいそうになることもあります。でも、それ以上にせめて私が死ぬまでに関わる人たちは、ちょっとでも笑顔で過ごしてほしいから、できることはやりたいという気持ちで書いています。

子どもの気持ちを理解したいという親御さんからの感謝が嬉しかった

ブログを始めてから嬉しかったのは、「娘の気持ちを理解したいんです。ありがとうございます。」と親御さんがメッセージをくれたことです。その時は文面から、藁にもすがるような思いで読んでくださってることが伝わってきて、勇気を出して表に出してよかったなと思えました。

不登校を経験していない人もけっこう読んでくれていて、「不登校だからって、得体の知れない特別な人になったわけじゃないんだ。自分も似たようなこと思ってたこと、あったよ」と気づいてくれた人もいます。

ブログでは、当時の気持ちをかなり赤裸々に綴っているので、「教師だって色々業務がある中でやっているんだ」という言葉をいただいたこともあります。最初はそんな声を受止めるのでいっぱいいっぱいだったけど、そういった声を聞くことも、私にとって意味のある経験にしていこうと思っています。

子どものした決断を受け容れてくれたら

「不登校」をキーワードに活動するようになってから、同じような経験をしてきた同年代の人とつながることも増えてきました。そこでわかったのは、「不登校」と一言で言っても、理由も学校の対応も本当にいろいろだということです。

私の場合は、「学校は行って当たり前」という価値観の大人が多くて、家にも学校にも居場所がない状態でした。親も先生も学校に行かせたいという気持ちが強かったので、学校に行けていない今の自分を否定されているように感じちゃって。みんなが当たり前にできていることができない自分がすごく嫌でした。

学校に行けない日はどんどん積み重なっていきます。周りの子は高校受験にむけて進んでいくのに、自分だけはどんどん退化していくような感覚でした。

でも、定時制高校で一緒だった元不登校の友達は、お母さんが徹底的に味方でいてくれたみたいで、「無理して学校行かなくていいよ!」と言ってくれたそうです。

私にも子どものころ、「学校に行けなくなってしまった状態の私」を受け容れてくれる誰かがいてくれたら。「学校に行けなくなっても、あなたはあなただよ。悪いことじゃないよ」って言ってくれる人がいてくれたら。違う人生になっていたと思います。

だから、もしこのコラムを読んでくれる人が、この先「学校に行かない」って選択をした子に出会ったら・・・とても勇気がいると思うのですが、無理にどうにかしようとせずに、その決断をしたその子のこと、まずは受止めてほしいです。

誰しも、「こうしたほうがいいとわかっているのに、どうしてもできない」ということが、あるんじゃないかと思うんです。そんな時、例えばぎゅって抱きしめて、受け容れてもらえたら、味方でいてくれる人がいたら。きっとそれだけで「自分のこと諦めないで、生きてみよう」と思えるんじゃないかと、私は思います。

学校に行くことを良い悪いで判断するのではなく、目の前の子どもを見て欲しい

私は、学校に行かないことで苦しむ人を少しでも減らしたいと思っているけど、学校に行かないことを勧めているわけでは、決してないです。学校にいくことで命の危険があったり、心が死んでしまう危機にあるような子もいると思うから、そういう子はもちろん行かないほうがいいと思ってます。

というのも私自身、不登校や高校中退を経験して、学校に行かないことで失うものの大きさを知ったからです。

例えば、小さいようで大きなことだと、数学や理科の基礎的な学力がないので、就職試験の筆記が全然解けなかったり。先に書いたように、アルバイト先すら見つからなかったり、大学に入学したときは、修学旅行の話についていけなくて孤独感を覚えたり。

それと不登校の話を取り上げると、「学校に行かないこと」を良い悪いで判断してしまいがちだったり、「学校に登校させること」が目標になってしまうことがあるなあと感じてます。でも一番に目を向けるべきは「目の前の子ども」であって、「この子は今、こういう状況なんだな」と一旦受け容れることが、大事な遠回りなんじゃないかなと思います。

自分らしくいられる場所を、ゆっくり見つけていこう

【イラスト】微笑みながら、黒板に「take it easy」と書くたかこさん
私、自分が不登校を経験しているからか、「今は大変だけど、未来は明るいよ!」というような、前向きなメッセージを伝えることがすごく苦手なんです・・・(笑)「綺麗ごと」って思っていた当時の自分のことが、無視できないんだと思います。

でも、これだけは、伝え続けたいってことがあります。

「社会って、意外と敵じゃないよ!」

私は、いじめられていたり周りから責められていた当時の経験から、人を「敵か味方か」で判断するくせがなかなか抜けなかったんです。だから、人と知り合っても「敵」になりそうな要素を無意識のうちに探していたり・・・本当は、深い関係を築きたかったのに、「この人を信じたい」っていう人も確かにいたのに、心から信じることができなくて、苦しかったです。

でも、定時制高校卒業後から今まで出会ってきた人の中には、不登校の経験に真摯に耳を傾けてくれたり、そんなこと気にせずに友達でいてくれる人もいて。「社会で上手くやっていけなかったら、どうしよう」という不安とは裏腹に、みんながみんな、敵ではなかった。これは、すごい驚きでした!

今の私は、本当にちょっとずつだけど、「人を信頼する」ってことができるようになってきています。だから、今学校に行けなくて、苦しんでいる人には、心から伝えたい。

今は学校が世界の全てで、そこに居場所がないって、本当に辛いことだと思う。いじめられていたら、なおさらだと思う。そんな状態で、誰かを信じることってとても難しいことだなって・・・思います。

でも、これからみんなが所属する色んな「社会」の中は、敵ばっかりじゃないことだって、きっとあると思うんです。たまたま、学校という場所でうまくいかなかっただけで、他の場所にまだ出会っていないのかもしれない。

私は、みんなが「ここにいると自分らしくいられる」という場所に出会えるまで、傲慢かもしれないけれど、生きててほしいなって、思います。それは、特定の場所じゃなくて、誰かの隣でもいいと思うし、どこか安心する居場所でもいいと思います。

そしてあんまり思いつめないで、ゆっくりで、いいと思うんです。ゆっくり、自分と付き合って、向き合っていきましょ。一人ではちょっとしんどいときもあるから、そんなときには、このコラムを思い出してくれると嬉しいです。

誰かにとって「自分らしくいられる居場所」に

戻ってきました!工藤です。

「今生きているのがつらくても、居場所はひとつじゃない。きっと自分らしくいられる場所がある。」

これはsoarで取材活動を続ける中で、強く思うことのひとつでもあります。たかこさんが思い悩んだ経験を経て、昔の自分に伝えたいメッセージとして綴ってくれた言葉は、きっとたくさんの人の心に届くはず。

そして、たかこさんの経験から学んだのは子どもに自分の価値観や常識を押し付けず、その子自身を見てあげて受け入れてあげること。子どもに対してだけではなく、周りのひとに対してもそんなあり方で接するようになりたいと感じました。

私自身、誰かの「自分らしくいられる居場所」になれることを願って。

コラム筆者情報:
たかこ
26歳の会社員。モットーは「こども目線を大切に、こどもの味方であること」
中学2年のときから不登校・高校中退・定時制高校とちょっと変わった道を歩いてきました。
現在は会社員として働きながらブログ「学校に行かなかった私』から見える世界」を運営中。

(編集/工藤瑞穂、イラスト/ますぶちみなこ