【イラスト】おだやかな表情をしている男性の周りに、「なかま」「居場所」「ウソをつかなくていい」「安心」という言葉が書かれている。温もりが伝わってくる。
依存症…と聞くと、どんなイメージが浮かぶでしょうか。

今回お話をうかがったのは、「薬物依存症のPenさん」です。その穏やかな語り口からは、彼が覚せい剤を使い続けて生活がどうにもならなくなったことなど、聞かなければ想像もできないでしょう。

薬物依存症は、性別、年齢、職業、学歴、性格によらず、だれでもなる可能性があります。

しかし、日本では、「ダメ。ゼッタイ。」のことばとともに、よくないイメージが強調されています。薬物依存症をはじめとした依存症は、サポートが必要な“病気”であること。相談先があり、回復の可能性がある病気であること(注1)はあまり知られていませんし、本人の話をジャッジなしに聴く機会はないように思います。

依存症からの回復のあゆみには、生きていくために必要なこと、大切なヒントがある気がします。受けとめられる場所、正直になれる相手、信頼、仲間。…。そして、失敗しても何度でもやり直せる、あたたかい社会へのヒントが。

Penさんには、今の生活のこと、子どもの頃のこと、薬物をやめられなかったときのこと、やめつづける支えになっていることなどをお聞きしました。

ここからは、Penさんの言葉を、なるべくそのまま、みなさんに伝えていきたいと思います。

20年の薬物使用を経て、今、クスリを使わない1日1日を過ごしています

覚せい剤(以下、クスリ)を17歳から使いはじめて、約20年、一切やめられなかったです。

30代の後半になって、薬物依存症のリハビリ施設につながりました。そこで回復のプログラムを受けて、退寮してから数年になります。今は、仕事をしながらひとり暮らしをしてます。

なんでクスリをやめつづけているか?と聞かれたら… 「ウソをついていない」というのが一番大きいかもしれないです。生きてたら、つらいことはあるけど、もう、あの疎外感や罪悪感を二度と味わいたくないなと思うから。

【イラスト】不安そうにしている男性の周りに何本かの鋭い線が描かれている。
子どものとき、家は落ち着かない場所でしたね。

病気のきょうだいがいて、母はかかりっきりだったし、自営業の父とは折り合いが悪くて。小学生のとき、きょうだいの中で自分だけが毎週親戚の家に預けられていて、自分だけ怒られるし、「なんでオレだけ」っていつも思ってました。

当時の友達は犬。こわい夢を見たり、自傷行為もしてました。

中学に入って、道をそれるというか、悪い仲間とつきあうようになりました。タバコ、酒、家には帰らない。

高校を中退して、住み込みで働くようになって、地元の悪いやつらと付き合う中で、17歳のときに初めてクスリを使いました。「こわい」ってイメージは全然なかったです。そのときは、なんていいもんなんだと。

(家や他のところに)居場所がなかったことの反動ですかね。

当時、先輩たちは自分が捕まるリスクをさけたいので、下の立場の子に買いに行かせていて、自分はというと、買った中から自分の分を確保して渡してました。

ウソばっかりついてました。リスクを考えたり、先の不安は、なにもなかったです。

住み込み先が嫌になって自宅に戻ったのが20歳くらいのころ。それから、家の会社を手伝いながら、バレないようにクスリを使っていました。

2度の逮捕を経てもクスリがとまらなかった

数年たって、1回目の逮捕です。

クスリが入ってるときに、普通は停めないようなとこに車をとめて、警察に職務質問されて捕まりました。初犯で執行猶予。一度はやめようと思いましたが、一週間後には再使用してました。母親に重い病気が見つかって闘病生活に入ったので、やめなきゃと思ったけど、やめられなかったです。

そのころには、クスリが入ってないと動けなくなってました。仕事するためにクスリを使う。罪悪感があるんだけど、罪悪感が強まるとさらにクスリが増える。

母親が亡くなったとき、その場にいるのが嫌になって、会社を去ってクスリ仲間のところへ行きました。

20代後半、2度目の逮捕で実刑となり、刑務所に入りました。当時は刑務所を早く出たいの一心でしたが、薬物依存症のリハビリ施設のスタッフが、刑務所のプログラムに参加していた(メッセージにきていた:注2)ことは覚えています。

出所後は、家の会社でがむしゃらに働きました。それなりのポストをもらって、責任も出てきて。でも1年半くらいしたところで、ふっと、力が抜けて。昔のクスリ仲間に連絡して、クスリをまた使用しました。

それからの5年ほど、自分ではバレていないつもりで、毎日使いながら仕事。クスリのせいで寝ずに事故を起こしたり、起きられなくて仕事に遅刻したり。だんだん使い方もハードになっていて、仕事の責任はあるし、なんかあったら会社に迷惑かかるし、やめられない自分におそれを抱きながらもやめられない……。

そして、常識では考えられないような出来事を機に、初めて、自分からきょうだいにクスリがとまらないことを打ち明けることができました。

【イラスト】もやもやとしたものに囲まれ不安そうに目をつぶる男性。

クスリを使った自分が帰れる場所があってよかった

刑務所で会ったリハビリ施設のスタッフのメッセージが、頭の片隅に残っていたんですね…。「クスリをやめるためにはそこに行ってみるしかない」と思い、見学に行きました。「隠れる場所がほしい」という気持ちもありました。

入寮前提で、最初2週間くらい通所しましたが、そのときに「自信を喪失した」みたいな感覚がありました。

なにも考えられない、自分がなくなったような感覚。

クスリをやめたい、施設もいいかもな、と思う一方で、家には、クスリを使うときのポンプが捨てられずにあったり、クスリ仲間の連絡先を消せずにいました。

そして、ある日の、施設からの帰り道のこと。

大雪の日だったんですが、ずっと通ってた居酒屋へ寄って飲みながら、涙がでてきました。店主に「もう来れないんですよ」なんて話しながら、涙がとまらなくなって…。(注3)

入寮したらこれまでの人間関係とか社会的な地位。店主とのコミュニケーション。いろんなことを一度手放さないといけない、喪失感ですかね。。。

泣いてたらとまらなくなって、「死ぬのかな」とか考えて、ひとりでいたらヤバイなと思いました。でも同級生には、一緒にいてとは恥ずかしくて言えないので、クスリ仲間に助けを求めました。電車で仲間のところ行って、クスリを使って、使うと落ち着きました。

クスリへのさよならを、ちょっと先延ばししたのかもしれません。

でも、あの感覚があったから、施設に帰ってきたし、入寮して新しい生き方を始めることができました。

そのときに、クスリを使った自分が帰れる場所は施設しかなかった。そういう場所があったってことがありがたいです。社会は「(クスリは)やめとけ」しか言わないですから。

そのあとも、クスリを使ったこともありますが(注4)、あの入寮したときがターニングポイントだったと思います。

【イラスト】涙を流す男性。男性が「しんどいとき支えてくれてありがとう」といい、その隣には「もう大丈夫」「バイバイ」と語りかける仲間がいる。

リハビリ施設は自分にとって、なくしてしまった自信、壊れた自分を修復できるところ

リハビリ施設では「スリーミーティング」といって、1日3回のミーティングがあります。午前と午後は施設のデイケアで、夜になると自助グループ*へ行って、話をするんです。

*自助グループは、なんらかの共通点で集まるグループで(ここでは薬物の問題があって、薬物をやめたいと願う人の集まり)、定期的なミーティングを行なっています。ミーティングでは、テーマにそって順番に体験を話します。言いっぱなし、ききっぱなしで、アドバイスや意見などはしません(グループによっては違うスタイルもあります)。

入寮直後の自分は、ずっとまわりに怒り散らしてました。自分でも原因がわからず、とめられないことに葛藤を感じながらも、自己中心的で、高慢で。とにかくずっと怒ってました。

入寮10ヶ月くらいの頃、別のリハビリ施設へしばらく行って、そこでほかの人が自分と同じようなことをしているのをみて、自分のしていたことに気づきました。これじゃあ、クスリをやめてるのに生きづらい、苦しいなと。

仕事していたころの暮らしとはギャップがあったので、先の不安もすごくあったと思います。

施設は、自分にとっては、また子どもに戻った感覚のある場所でした。守られていて、あったかくて、ゆっくりで。なくしてしまった自信、壊れた自分を修復できる空間でした。

そして、そこに飽きて次の一歩、という感じで、トータル約1年半の入寮を経て、退寮しました。

【イラスト】あたたかそうな光の中で安心そうな表情をうかべる男性。

ミーティングにくる仲間とはクスリをやめたいという一点で重なっている

今は社会に戻って、もともと勤めていた家の会社ではないところで働いています。

ウソはつきたくないけど、やっぱりクスリを使っていたことは、職場の人には言えないです。薬物依存症のことは秘密にしないといけないなと思います。職場の飲み会でお酒が飲めないことを、「前にちょっと酔っ払って失敗しちゃって」とか言って断ってるんですけど。そういう小さいウソをつかなきゃいけないのは、面倒ですね。

去年の秋は、調子が悪かったんです。退寮してから、自分の中の優先順位が少しずつ変わっていって、仕事に行くとがんばっちゃうし、プライベートも大切にしたいし…と。一気にうつっぽくなって、こりゃヤバイと思って、ミーティングに行く頻度を増やしました。そのおかげで今はだいぶ落ち着きました。

施設で回復のためのプログラム(注5)に取り組んだことは自信になっていますし、それからクスリをやめられていることが、プログラムへの信頼にもなっています。そこにすがるしかないと思い、ミーティングに通う頻度を増やしました。

ミーティングは自分にとっては特別なものです。

ミーティングにくる仲間は、クスリをやめたいという1点だけで重なっています。やめようという気持ちがなくなったら来ません。まわりの人が「一緒にやめよう」と言うわけにもいかないです。仮にクスリを使っていても(クスリの使用が止まっていなくても)、通っている仲間は、クスリをやめることを願っています。仲間には同じ価値観、信頼、協力、共感…があります。

そのみんなの「ウェルカムな感じ」は、ミーティングのその場にいるからこそ感じられるもの。

そして、仲間って自分自身なんです。というか、自分のことはほんとはわかってなくて、仲間を通してでないと自分のことって見えないんじゃないかと思います。

通っている自助グループの出しているポケットサイズの冊子を(回復のための指針がかかれています。12ステップの説明を参照)、ミーティングに行くときはいつも持っています。自分では気づけなかったことを、これが気づかせてくれます。

最初に自助グループにつながった日にキーホルダーをもらえるのですが、それも持ち歩いています。

自分はふだんは、本当に言いたいこと、伝えたいことを、伝えたい相手には言えない。

でもミーティングで、仲間の話や、あの場の雰囲気があると、自分自身の体から気持ちを言葉にして出すことができます。そして声に出して耳で聞く。すると「ああ、つらかった気持ちがあったんだな」と自分で理解できます。でないと、頭の中をマイナスイメージがループしちゃうんです。

やっぱりミーティングが自分には必要だと思いましたね。

【イラスト】明るい雰囲気がを感じられる様々な線が中心で交わっている。

自分にとってのクスリと、クスリを使わない生活

あいつ(クスリ)がいなかったら、幼少期の自分のわだかまりを、抱えていられなかったんじゃないか。あいつがいなかったら、僕は生きていなかったんじゃないか、と今でも思います。

「魚にとっての水」みたいなもの、でしょうか。

仕事も遊びもクスリがないと動けなかったんです。

これが自分っていうちょっと人と違う自分の個性というか、自分自身を保つために、自分が人間であるために必要だったもの。生活の一部。

依存症になってなかった人生は、生きていない。変えられない。今、生きているということ。

悔いはないです。

今のクスリを使っていない生き方は新鮮です。クスリというフィルターを通してではない、ものの感じ方ができています。

なんでクスリやめつづけているか?と聞かれたら、「ウソをついてない」というのが一番大きいです。

クスリを使ってるときは、たくさんウソをつかないといけない。(心に抱えている)荷物も多くて、やらなくていいことを余計にやってるかんじでした。一番イヤな感情は、勝手に「疎外感」を感じてたこと。罪悪感も。二度と味わいたくないです。

【イラスト】おだやかな表情をしている男性の周りに、「なかま」「居場所」「ウソをつかなくていい」「安心」という言葉が書かれている。温もりが伝わってくる。

薬物依存症が病気というのは、本人でも受け入れることは難しいけど、病気だと受け入れると楽になります。

このところ、回復のとどこおり、みたいなものを感じていたので、このインタビューがなにかの刺激に…自分でもなにかの気づきにつながればと思ってます。

今日はこれから、ちょっと施設に顔を出してから、夜のミーティングに行きます。

***

Penさん、お話してくださって、ありがとうございました。
 【イラスト】温かい光に包まれながら、歩いていく男性の後ろ姿

(注釈)

注1)薬物依存症は病気:薬物依存症は、問題がおきているのにやめられない、自分の意思だけでは、薬物の使用を「コントロールできなくなる病気」です。脳内の薬物への欲求を調整するメカニズムの問題が生じています。世界的に認められた診断基準にも記載されており、国際的にも学術的にも認められた病気です。快楽のためではなく、何らかの生きづらさを抱えている人が、クスリで「心の痛みを一時的に和らげる」ことを繰り返すうちに依存症になることが多いと考えられています。

注2)メッセージ:病院や施設、刑務所などへ行き、個人の体験談を話して回復のメッセージを伝えにいくための活動。刑務所の薬物のグループプログラムにもダルクのスタッフが参加しています。必ずしも言葉を届けるということではなく、クスリをやめている姿、クスリをやめて社会で生きているよという姿がメッセージです。今回、Penさんがこのインタビューで声を届けてくれたことも、メッセージです。

注3)飲酒について:お酒も酔いを求める「薬物」ですので、依存していた薬物をやめると同時にお酒もやめます。また、飲酒をした状態は、薬物を再使用してしまう危険性が高くなります。

注4)再使用について:薬物をやめようと新しい生き方をはじめてからも、再使用が起きることはとてもよくあります。再使用は病気の症状で、必要なことは叱責や説教や誓約書ではなく支援。ミーティングでは、再使用について正直に話すと、みなが温かく応援してくれます。「正直になる」ことが回復にとって大切だからです。対照的に、社会の中では、薬物の再使用や薬物を使いたい欲求について、正直に話せる場はなかなかありません…。

注5)プログラム:リハビリ施設によって違いはありますが、(Penさんが取り組んだ)回復のためのプログラムは、自助グループの12ステップを基礎にしたものです。施設では、グループミーティングを中心としながら、個々にあわせて、自立に向けた支援も行います。入寮期間はさまざまで、半年から数年など。12ステップについては、この記事の最後に掲載しています。詳しくはナルコティクス アノニマス(NA) 日本のサイトを参照ください。

*リハビリ施設や自助グループにつながることが、唯一の回復の方法ではありません。相談先の情報も参照ください。家族だけで相談できる場所もあります。家族、友人、知人など、まず、まわりの方が専門機関へ相談ください。

関連情報
・薬物問題についての相談先や情報が得られるページ薬物問題の相談先/NPO法人ASKのページはこちら
「施設や自助グループなど」の項目に、ダルク、NA[ナルコティクス・アノニマス]、ナラノン、薬家連の説明、リンクがあります。

・薬物問題の相談先ドラックokトークはこちら
薬物乱用・依存/薬物乱用・依存を知ろう/薬物問題の相談先ドラッグokトーク/NPO法人アパリ(アジア太平洋地域アディクション研究所)のプロジェクト「ヘルス&ハームリダクション*東京」が提供
「通報されない・説教されない・薬物についての話ができるところ・ドラッグで困ったときの情報があるところ・どんなことでもOK!電話・LINE相談も」

・ご家族の薬物問題でお困りの方へ/厚生労働省作成のパンフレットはこちら

・薬物報道ガイドラインはこちら
「依存症問題の正しい報道を求めるネットワーク」からの提案報道にあたって、望ましいことと、避けるべきことが具体的に提示しています。

・イラストで学ぶ薬物依存症/子ども情報ステーションbyぷるすあるはのサイトはこちら

12ステップ

1.私たちは、アディクションに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。
2.私たちは、自分より偉大な力が、私たちを正気に戻してくれると信じるようになった。
3.私たちは、私たちの意思といのちを、自分で理解している神(ハイヤーパワー) の配慮にゆだねる決心をした。
4.私たちは、探し求め、恐れることなく、モラルの棚卸表を作った。
5.私たちは、神に対し、自分自身に対し、もう一人の人間に対し、自分の誤りの正確な本質を認めた。
6.私たちは、これらの性格上の欠点をすべて取り除くことを、神にゆだねる心の準備が完全にできた。
7.私たちは、自分の短所を取り除いてください、と謙虚に神に求めた。
8.私たちは、私たちが傷つけたすべての人のリストを作り、そのすべての人たちに埋め合わせをする気持ちになった。
9.私たちは、その人たち、または他の人びとを傷つけないかぎり、機会あるたびに直接埋め合わせをした。
10.私たちは、自分の生き方の棚卸を実行し続け、誤ったときは直ちに認めた。
11.私たちは、自分で理解している神との意識的触れ合いを深めるために、私たちに向けられた神の意志を知り、それだけを行っていく力を、祈りと黙想によって求めた。
12.これらのステップを経た結果、スピリチュアルに目覚め、この話をアディクトに 伝え、また自分のあらゆることに、この原理を実践するように努力した。

平安の祈り

神様
私にお与えください
自分に変えられないものを 受け入れる落ち着きを
変えられるものは 変えて行く勇気を
そして 二つのものを見分ける賢さを

(ラインホルド・ニーバー(1892-1971)という神学者のことばで、ミーティングの最後にみんなで唱えます。)

(インタビュー/ぷるすあるは、執筆/きたのようこ、イラスト/チアキ)