【写真】頭にターバンを巻き、笑顔でうつるたかはしえまさん

こんにちは。髙橋絵麻と言います。福井県在住、37歳。3歳と8歳の娘が二人います。現在、ヨガスタジオ「Living space Atha.」を主宰しながら、福井県を中心に乳がんの啓蒙活動、講演などを全国各地でさせて頂いています。

実は3年前まで私は、家事に育児に奔走しつつ、ヨガインストラクターという仕事も楽しみながら毎日を過ごす、普通のお母さんでした。でもある日突然、私の見えている景色がガラリと変わったのです。

それは、乳がんになったということ。

今回はみなさんに私のこれまでと病気の経験、そしてその中で抱いてきた思いについてお話したいと思います。

乳がんかもしれない。お腹に娘がいる状態での診断

私の体に異変があったのは、2015年5月、次女がお腹にいる臨月の頃でした。右胸にチクチクとした痛みと、こんにゃくのような大きめのしこりを発見しました。でも、先生は「あまり妊娠中に乳がんというのも聞いたことがないから、大丈夫でしょう」と言ってくれました。

私もその時は、おっぱいを出す準備かもしれないし、それに今検査して何かあっても怖いなと思い、その言葉を信じることにしたのです。

その後、無事に次女を出産。産んでからすぐ、右のおっぱいから血乳が出始めました。長女の時はそんなことなかったので、すぐに「乳がん」という言葉を思い出しました。

でも私は「5年ぶりのおっぱいだから、もしかしたらおっぱいを出す準備が整ってないのかもしれない」と一生懸命思いこんだのです。

でも、血が止まることはありませんでした。

退院後は5年ぶりの新生児育児にてんてこ舞い。おっぱいは順調に出るようになり、血乳は出たり出なかったりを繰り返していました。長女の時も完全母乳での育児。ありがたいことにおっぱいは順調に出始め、次女も順調にすくすく大きくなっていきました。

検査に行くことも考えたけど、赤ちゃんを前にして、私は自分のことを後回しにしました。

ようやくリズムが付いた3ヶ月目。止まらない血乳がやっぱり気になり、大きな病院で診てもらうことにしました。検査を受けるまでもいろんな気持ちが飛び交い、心は大忙し。エコー、マンモグラフィー、マンモトーム生検。検査結果は大型連休を挟んで2週間後。

すごく怖くて、娘たちを寝かしつけてからネットで色々調べては主人に不安を伝えました。彼は「大丈夫じゃない?」と言ってくれていたけど、後で聞いたらやっぱり怖かったし覚悟もしていたそう。多分もう、そう言うしかなかったんだと思います。

乳がんの告知。でも子どもの前では泣けない

そして、2015年の10月1日。世界が一変した日。

【写真】第二子を妊娠している時のたかはしえまさんの全体の自撮り写真。笑顔のたかはしさんのお腹は大きくふくらんでいる。

第二子を妊娠中のお写真

私はその日、3ヶ月の次女を抱っこしながら、二人で乳腺外科の診察室にいました。

お母さん、残念です。

そこで、医者の衝撃的な言葉と共に、右乳がんと告知を受けたのです。

いきなり乳がん患者になり、見える世界が一変しました。頭の中はメディアで取り上げられる、若くして亡くなった乳がんの方ばかり。がん家系でもなく、食事もそれなりに気をつけていて、その時点でヨガを8年教えていた私。まさか私が…。

診察室では堪えていた涙も、看護婦さんから「大丈夫?」と背中に手を当ててもらった瞬間、とめどなく溢れてきて。

この先どうしたらいいんだろう、私の命はいつまであるのだろう、この小さな可愛い子の成長を、一体いつまで見られるのだろう。

不安ばかりが押し寄せてきていました。

ただ、当たり前に子ども達と笑っていたい。

ただ、当たり前に愛する人と年を重ねていきたい。

診察室を出ると、病院にはご年配の方ばかり。あぁ、当たり前におばあちゃんになりたい。そう思いました。

絶望の中、自宅に戻りました。その当時まだ5歳の長女はいつものように笑い、いつものようにわがままを言っていました。

でも、この子の笑顔がもしかしたら見られなくなっていくんだろうな…。

頭の中はそんなことばかり浮かんできて思わず号泣しそうでしたが、心配させたくなくて、娘の前で必死に涙を堪えていました。

ただ4人で笑ってるだけ、ただご飯を食べているだけ。そのことがこんなにも幸せなことだったなんて。子ども達が寝た後、主人と二人で泣きました。

なんでもっと早くに病院で詳しく検査しなかったんだろう。なんで今なんだろう。なんで私なんだろう。なんで、なんで…。

それでもこれから治療に向けて頑張ろうと話し合いました。がんはステージがどの段階かで一気に生存率が変わる。なので、まずは今の状態を把握しよう!と無理矢理にでも気持ちを前に向けていました。

娘におっぱいをあげられず、つらい日々

がんの治療と同時に始まったのは、3ヶ月の次女の断乳でした。

哺乳瓶練習を全くしていなかったから、全然ミルクを飲んでくれない。次女が泣くと長女も泣く。こちらも必死だし、同居している義両親も必死。家の中がお通夜みたいで、逃げだしたいと何度も思いました。

おっぱいがあげられなくなるとわかってから、写真をたくさん撮りました。

【写真】次女を抱っこしている笑顔のたかはしえまさん。

私はおっぱいの時間が大好きでした。幸せそうに飲む顔を、飲んですやすや寝ちゃう顔も、くわえながらこちらをチラ見して思わず笑っちゃう顔も、全部が幸せでたまらなかった。

長女はおっぱいが大好きだったので、だから次女もそうなるのかな?なんて楽しみにしていたんです。でもそんな期待は粉々に砕けちりました。

私が抱くとおっぱいを探しちゃうから、泣き叫ぶ次女を抱っこすることも出来なくて、本当に心が壊れそうでした。私も一緒に大泣きしたかった。

ほとんどミルクが飲めない状態が丸一日以上続き、次女は観念したように哺乳瓶からミルクを飲んでくれました。パパに抱かれながらミルクを飲む姿を見て、やっとこれで治療に専念できるとすごく安心したけど、「あぁ、これで私のおっぱい忘れちゃったんだな」そう思ったら、やっぱり泣けてしょうがなかった。

色々落ち着いてから、長女に病気のことを話しました。実は同居していた義母も同じ病気の経験者。

ママね、ばあばと同じ病気になっちゃったみたい。だから、おっぱい取らなきゃいけないんだって。

長女は大心配!とまた泣いてしまいました。

検査の結果は「乳がんステージ3a」

その後の検査の結果、他臓器や骨には転移なし。ステージは3a。

2週間後には「抗がん剤を投与しましょう」と言われて、私の入院日が決定しました。初めての抗がん剤投与。赤い薬はいちごシロップみたいで、看護婦さんと笑ったり、会話しながら始まりました。

この薬が私を救ってくれるかもしれない。

そう思い込むのに必死だった気がします。

抗がん剤が全く効かない場合もあるし、“抗がん剤は身体にダメージを与えるだけ。抗がん剤で殺される!”なんていう恐ろしい情報はネットにごまんと溢れている。

痛みにもトラブルにも本当はとっても弱い私。ただただ怖い。本当に逃げだしたい!!やるからにはお願い、効いて!と祈りながら抗がん剤治療がスタートしました。

初の抗がん剤から約10日後。副作用で髪が抜け出しました。頭頂からどんどん抜けて、落ち武者みたいになっていきました。お風呂では毎回すごい量の毛が抜けて、掃除するのも一苦労。毛が全部抜けるまで掃除し続けるなんてぞっとしました。

見た目が変わっていくことに耐えられず、心もまだまだ不安定。鏡で自分を見たくないと思い始めていました。だから、何かスッキリしたくて、思い立って頭を丸めたのです。

【写真】頭を丸めたたかはしえまさん。キリッとした清々しい表情をしている。

帰ってきたパパに、「じゃーん!」と見せたら、開口一番「意外と似合うね」と言ってくれて、なんてかっこいいんだ!と見直した瞬間でした(笑)。(でも保育園から帰ってきた長女は見たくないと号泣でした…。)

いよいよ、がん患者であることが見た目にもわかるように。髪型が一気に変わったけど、友達はどう思うかな…。

そんな悶々とした気持ちが追い討ちをかけたのか、副作用の頭痛や頭皮痛もひどく、長時間ウィッグを被っているのが辛くなってきました。

公園で出会うお母さんたちとの何気ない会話の中での「子供の成長が早いね」みたいな話は、それが自分の目で見られるのかすらわからないと思うと心が張り裂けそうでした。未来に対して全く不安のない「普通のお母さん」がとにかく羨ましい。

ウィッグをつけていることもあいまって、あんなに人とおしゃべりするのが大好きだったのに、外に出るのすら嫌になりそうな自分がいました。

カミングアウトと共に始めた「しこり触ってねキャンペーン」

フランクでキャッチーにカミングアウトしたいな。

私は、もう全てをみんなに打ち明けてしまおうと決断したのです。

【写真】2つのカードを持ってほほえむたかはしえまさん。1つ目のカードには、「しこり触ってね キャンペーン。 触る時は、もどに戻ろうね。治れ治れと声かけしながらさわってください。」と書かれている。2枚目には、「みなさんの元気を私にください!そして乳がんの早期発見に役立ててくれたら嬉しいです。私のしこりを触って是非自分の乳房にはないかを確認してくださいね」と書かれている。

勝手にしこり触ってキャンペーンyoutube

「勝手にしこり触ってキャンペーン」開催中です!

ある日、Facebookで頭を丸めたままの私を公開しました。

するとお友達だけでなく、がん経験者や全く知らない方からも「応援しています!」という愛のあるコメントやメッセージがたくさん届きました。 

一人で抱え込まなくていい。みんなが助けてくれるんだ。助けてって素直に言えば良かったんだ。もう無理しなくていいと、少しだけ安心できた瞬間でした。

思えば私は、ずっと頑張らなきゃと思って生きてきました。

ちゃんとした嫁、お母さん、社会人で在りたい。

こんな感情からなんでも“一人で出来るもん”をしていて、心と身体のサインをずっと見て見ぬふりをしていたのです。

でもシンプルな私の感情は「休みたい。笑いたい。愛されたい」。ただそれだけでした。

素直に助けを求めればいいだけだったのに、優しさの受け取り拒否をしていたのは私だったのです。

何も出来ないことに降参して、助けてと素直にオープンにしたらとんでもない優しさが注ぎこんできました。このキャンペーンで、私の生き方はガラリと変わりました。

手術までの約半年間、私は抱えているしこりを直接いろんな方に触っていただきました。それは、みんなの手から溢れるいい気を私に送ってもらって、少しでもがんを小さくしたいという思いから。(ただ、刺激するとがん細胞が進行しやすいとも言われています。それも踏まえた上で、やりたいと思ったことはこの際やろう!!と思ったのです。)

そして、こんなことを伝えたかったのです。

産婦人科の先生でもわからなかった、妊娠授乳期の乳がん。だからこそ自分でおっぱいに関心を持って、身体を守って欲しい。

育児中は赤ちゃんのお世話に必死で、自分のことを後回しにしがちなお母さん。でも、もっと自分の心と身体に正直になっていい。せっかく生きている「いま」を楽しめるように、背負い込み過ぎずに緩んで欲しい。

【写真】和室の部屋に7人ばかり集まっている。その中で乳がんについて話すたかはしさん。参加者たちは真剣に話を聞いている。

乳がんの体験についてお話しする高橋さん

自分の好き、嫌いを思い出して、いまの感情に意識を向けることこそ、生命力溢れ、愛を拡大し循環することにつながっていくということを、ただただ伝えたかったのです。

私の精一杯のメッセージを、約250人の方が受け取ってくださいました。

2016年5月。全摘手術はなかなか大掛かりなものになりましたが、無事に成功しました。その後、放射線治療も受け、転移の予防としてホルモン療法と、経口摂取の抗がん剤を服用して、今に至ります。

病気をきっかけに決意した「生きたいように生きる」ということ

がんと告知されてから一番大変なのは、実は心のコントロールかもしれません。多分大抵の方が自分の不幸を嘆き、先の不安から心のバランスを崩していくのだと思います。

でも実は私は、がんになる以前の15歳から21歳位までうつやパニック障害を経験しながら生活していました。その頃は「消えたい、死にたい、生きていてごめんなさい」の時期でした。

その状態を経験しているからこそ、子ども2人を抱えて、まさかあの頃には戻れないと思いました。だから始めたのはがんの勉強と共に、心の勉強。テクニックではなく、内から湧いてきたことを大切に大切にすることでした。

私は両親が医者だということもあり、厳しい家庭でした。子どもの頃の私は、漠然と「頭がよくないと愛されない」と思い込んでいました。そしてお友達とのささいなすれ違いがきっかけで、心の病気になってしまいます。

今思えば、勉強もできる理想の自分と現実の自分とのギャップを受け入れられなかったのでしょう。

【写真】金髪のたかはしえまさん。光が差す公園の中で、まっすぐどこかをみつめている。

期待に答えられない自分は、生きていても仕方がない。

食事もほとんど摂れず、睡眠薬や安定剤なども服用する毎日。同居していた祖母には「あんたがいるからこの家が暗くなるんだ」と言われ、家にも居場所がありませんでした。

自宅にはいられず、教室にも入れず保健室登校の日々。まだ不登校に対する理解も少ない時代だったので、周囲は私をわかってくれないし、生きていても楽しいことはないと思っていました。

そんな時に知ったお芝居の世界。演劇に出会い、自分を表現することを知った私は、少しずつ生きる希望を取り戻していきました。

大学は芸術学部へ入学し、芸術に没頭する日々。表現することから広がり、裏方の仕事も学ぶことができ、“届ける”過程の面白さに目覚めたのもこの頃です。

ただ、芸術で食べて行く自分自身のイメージが出来ませんでした。あれこれ考えた末、表現の世界で身体をケアしていく時に感じた喜びを生かしたいと、大手のエステ会社に入社を決めました。

数年はエスティシャンとして働きましたが、 徐々に「美しさは内面から作るものだ」という想いが湧いてきます。そのタイミングで当時通っていたヨガ教室で「インストラクターにならないか」と声をかけていただき、ヨガのインストラクターの道に進み、現在まで続けています。

思えばずっと、人の目を気にして生きてきたのです。それが病をきっかけに、その自分から卒業し、生きたいように生きようと腹をくくりました。

治療生活で気づいた「いま」の大切さ

私は今、乳がんを身近に感じてもらえるようなお話会や講演を、様々な場所でさせていただいています。そこで必ず行うワークがあります。

【写真】大自然の中で、笑顔でポーズをとっているたかはしえまさん

皆さんは、なぜ死ぬのが怖いのか、ちょっと書き出してみてください。

死って必ずやってくるけど、あまり意識しないもの。実際はとても身近なことですが、死の話をするのはなんとなくタブーのような雰囲気が残っています。でも、死を具体的にイメージすることは 「いま」が際立つと私は思うのです。

どんな自分で、どんな場所で、誰と最期を迎えるか。そこから、今「自分がどうありたいか」が見えてくるはずです。 

わたしはいま、何をしたい?

わたしの好きは何?嫌いは? 

今まで握り締めてきた常識や価値観を一度手放し、シンプルな欲求に従うようにしていったら、私はどんどんと楽になっていきました。そう。全ての答えは外側ではなく、自分の中にあると気付いたんです。

私にとって一番大切なことは何か、幸せとは何か。がんがきっかけで自分ととことん向き合うことで、自分の芯がしっかりしていきました。

私の治療ライフはまさに「ほんとうの自分」に還り、いまに生きるための、必要で愛おしい期間でした。

抗がん剤治療を続ける日々。自分と向き合い見えてきたシンプルな想い

治療が始まって以来、効くかわからない抗がん剤を投与しながらも、「ここで終わってたまるか」と心の底から湧いてきた想いが、私を強くしていきました。

【写真】治療中のたかはしえまさん。表情は笑顔で明るく、椅子に座って雑誌を読んでいたようだ。。

子育てに一生懸命だった私にとって、入院期間は、久しぶりの自分だけの時間。

今、何が食べたい?何がしたい?

常にシンプルな想いを意識して、ほんとうの自分と繋がることを意識していました。子供のように、やってみたいことリストを書き出し、内側でなかったことにしていた想いを外に出してあげたら、ワクワク感と共に、生きる底力も湧いてきたように感じました。

【写真】たかはしえまさんと娘さんと旦那さんの写真。みんな明るい笑顔をしている。

がんを克服した方達の本をたくさん読み、生き方を見直し、本当の自分と繋がって行動する方は元気に乗り越えている印象を受けました。もちろんそういった行動をしても、亡くなった方もいます。でも、自分の想いに素直に生きることは、とても魅力的に思えました。

そんなとき思ったのは、もしかしたら娘たちも将来がんになるかもしれない。そうなったときに、今よりももっとサバイバーに優しい社会であってほしい。そして、私の生きた証を遺したい、という気持ちでした。

頭を丸めたありのままの姿をさらけだしても、暖かく受け入れてもらえるような優しい社会をこの手で作りたい!

それが、講演会をしたい!本も出したい!やりたいことをやろう!という想いに繋がっていったのです。

退院してからも、心からワクワク出来ることに素直に取り組んでみました。たとえそれが達成できなくても、私は自分の想いを大切に出来た自分を、どんどん好きになっていきました。

告知から約3年。新たなチャレンジ

今年の10月で、がん告知されてから約3年が経ちます。これまで私は、たくさんのことにチャレンジしてきました。

福井では初めての、若い世代の患者サークルを立ち上げ。ありがたいことに講演も県内外からご縁をいただき、夢だったヨガスタジオもオープンました!

また、私の想いの全てを込めた「生きるを伝える写真展」のクラウドファンディングを成功させ、全国巡回もスタートしています。

生きるを伝える写真展「福井」youtube

今まではできるだけ周りに合わせようと生きてきましたが、命も時間も有限とはっきりわかった今は、やりたくないことにエネルギーを使うのはもったいないとすら思っています。

【写真】写真展の様子。中心には、笑顔の2人の子供に抱きつかれているたかはしえまさんの大きい写真が飾られている。

“これが好き!これを作りたい!”と、素直に発信すると、同じ志の方にどんどん出会えます。それを好き!と言ってくれる人が自然と集まり、それができる環境が自然に整うようになる。

おかげさまで忙しい毎日を過ごしていますが、やっぱりまだ、ふっと不安になることはあります。医師から術前に頂いた書面には、「10年生存率50%」の文字が並んでいました。この響きを、最初は本当に重く受け止めていました。

でも、今は、先の不安にとらわれ過ぎずに、今を生きよう!と、自分自身の心の整え方がだいぶわかってきた気がします。

写真展を通じて伝えたい「ありのままを受け入れて生きること」

今、『生きるを伝える写真展』という写真展を全国に向けて発信、巡回しています。15組の病で髪を失った女性と、その家族や友人の絆が写しだされた写真展。ありのままを受け入れ、そしてこの私でこの世界を楽しんで生きようと、心から笑っている美しい写真が並んでいます。

この写真展には、がんサバイバーの方と、脱毛症や抜毛症の方、それぞれ半分ずつの方がモデルとして参加してくださいました。

 【写真】写真展の中の展示物の一つ。「かわいそう?かわいそうはじぶんで決めてるのかもしれないよ?」と書かれている。

がんを公表してから多くの方とつながり合うことができ、この世界には抗がん剤の副作用ではなく、突然髪を失う方や、自分で抜いてしまう方など様々な方がいることを知りました。抗がん剤治療でも、「身体的な変化よりも外見の変化の方が苦痛として感じる人が多い」とデータで出ているほど、見た目が変わると心にも影響があります。

【写真】写真展に来たふたりの笑顔の子供たちがうつっている。その手には、「ありのままで愛してくれる?」「もちろんだよ」と書かれたプラカードを持っている。

さらにサバイバー(がん経験者)×ノンサバイバー(罹患前の方々)。この垣根を取っていくのは、しこり触ってキャンペーンの時からずっと意識していたことでした。

頭を丸めたありのままの女性はまだまだ見慣れずめずらしいかもしれません。でも脱毛症は日本全国民の約1%がかかり、がんは2人に1人かかる時代。この病気は意外と身近なところにあることを知ってもらうためにも、この写真展を開催したい!と考えたのです。

カミングアウトを進めるためのものではなく、「選択肢がある」ということ。意外とみんな受け入れてくれる、優しい世界があるのだと伝えたいと思いました。

こちらまで笑顔になっちゃう良い写真だね!

私も頑張ろう!と思えたよ、ありがとう!

写真を見た方からは、とても素敵な感想を頂いています。

更に、モデルになってくださった方にも素敵な変化がありました。プロのメイクさんとカメラマンに、綺麗な輝いている自分を撮影してもらい、自分をもっと大切にしようと初めて受け入れることが出来たとおっしゃってくださったのです。

【写真】写真展の様子。写真の周りにも様々な飾り付けがしてあり、明るい雰囲気が伝わってくる。

地元のテレビ局で写真展の様子を放送してくださったときは、モデルさんのお子さんが「あ!ママだけじゃなかったんだねー!」と安心したみたいですと教えてくれました。なのでこの写真展は、子供たちにもぜひ見てほしいです。

がんも脱毛症も、本当に身近な病。お子さんにもありのままに伝えることが出来て、家族で乗り越えて行けるような社会を作りたいです。

ひとりひとり違う「生きる」のかたち

写真展では、私が講演では伝えきれない想いを、言葉や展示デザインにて伝えています。

「つらいならつらいって言っていい」

「淋しいなら淋しいって言っていい」

「基準は自分のここちよさ」

「どんな色を人生で見ていきたい?」

【写真】写真展の展示物の一つ。子供に抱きしめられた笑顔の母親の姿がうつっている。

どんな想いを抱いたとしても、その想いは全て生きているから味わえる大事な感情。あなただけのもの。そこにそれぞれの大切にしているアイデンティティーがあると思うのです。

生きることに正解はなく、そして毎日は選択の連続です。

もし、生き辛さを感じている方がいらっしゃったら、この写真展の15組のメッセージを読みながら、“自分はどう生きたいと思っているのか”自分に問うてみてほしいです。どんな自分も、まずは受け止め認めてあげるところから。

この写真展は、2018年5月福井からスタートし、全国を巡回中です。

【写真】写真展に関わったたかはしさんとスタッフの集合写真。みんなポーズをとったり明るい笑顔で楽しそうだ。

これをきっかけにそれぞれの地域で、患者さんがやりたいことに挑戦したり、生きやすい環境を作る活動として、広がっていったらいいなぁと思います。

“かわいそう”という目に敏感になっている時は、実は自分が一番自分をかわいそうだと思っているかもしれません。もちろん事実は変わらないし、私も若くしてがんに罹患したことは自分でもかわいそうだと思います(笑)。

でも、そう感じている自分がいるのだと自覚してからは、その感情と適度な距離を取れたり、自分自身を俯瞰できるようになりました。また、自分の姿を写真にのこすという行為は、自分を受け入れ、前に進むきっかけにもなりました。

自分を赦せるのは、自分しかいません。一歩踏み出し、変化を自らに与えたことで、自分の芯がしっかりしてきました。

私自身は乳房の全摘後、全摘アートフォトも撮りましたが、「写真撮ってもらったよ」と自慢できるくらい、これからの社会はフランクに病気と向き合えるといいなと感じています。

当事者にならないと気づかないこと、わからないこと、わかってるつもりだったこと、たくさんあります。届かない人には届かないですが、それもまた仕方ないことで、とりあえず私が楽しんでやれるかを大切に。写真展は私の人生かけての表現だと考えています。

出会ってくれたみんなに伝えたい“ありがとう”

今私は、体と心の声をちゃんと聞くようにしています。

そして、いろんなことをできるだけ背負い込まないことを大切にしています。疲れちゃった、寝たい、甘えたい、やりたくなーい(笑)。そんな想いをシンプルに吐き出すこと。

それに、私は働き方をガラッと変えてしまいました。それまでは大きなヨガスタジオの所属で、土日や夜のレッスンも行なっていました。でも独立して、2018年6月にOPENしたヨガスタジオは、一番無理しがちなお母さん世代や、自分自身の健康に対して意識が高まっているシニア世代の方に私のヨガをお伝えできたらと、平日の日中のレッスンだけをメインに行なっています。

ホルモン療法の副作用も、最初は強く出ていましたが、今は体が慣れたのかほとんど感じません。術後の右胸・右脇の違和感も、リンパマッサージやヨガをなど、私なりの工夫をすることで、軽減しています。

【写真】「生きるを伝える写真展」と書かれた展示と共に笑顔でうつるたかはしえまさん

同じ病気の方には、「ありがとう」と伝えたいです。たくさんの同病の方が励みとなり、いま、ここにいます。一人じゃないという想いは、まず最初に私を強くしてくれました。

新米サバイバーさんには、まずは心の整理整頓を、と伝えたいです。

経験したことないことには、みんな怖さを感じ、身体が緊張状態に入ります。まずはそんな自分を感じたら、「怖いよね、不安だよね」と認めてあげてください。

素直な自分を吐き出し、こんな時くらい安心して周りに甘えましょう。そして、自分で自分を緩める習慣をつけ、先の不安や過去の後悔に囚われ過ぎずに、いまを楽しめるよう工夫してみてほしいなと思います。

がんだった樹木希林さんの訃報を受けて、やっぱり自分を全うして死ねるって素敵だなと思いました。そして私も私らしく在れた背中を、娘たちに見せていきたいと考えています。人生ってうまくいかないからこそ面白い!ってくらい言えたら最高ですよね(笑)。

私は自分に素直で在れた自分を好きで、たくさんのことに挑戦できた自分を誇りに思って、新しい生に旅立てたらと思っています。

新しい生への旅立ちに、どんな自分で在りたいかというゴールが定まると、道がシンプルに、一本に見えてきます。ぜひ、やりたいことやって生きましょう!

髙橋 絵麻

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(写真/先方提供)