どうして頑張らなきゃいけないんですか。
たとえば、算数の宿題が嫌で嫌でしょうがない小学4年生に。たとえば、「やりたいことなんてないよ」と進路指導中にふてくされた中2の教え子に。たとえば、終わりのないノルマに追われ、入社当時の目の輝きを失いかけた新卒の後輩に。
そう問われたあなたは、人生のセンパイとしてなんと答えるか。
今はわからなくても、いつか役に立つことがあってね…。今はやりたいことがなくても、ここで頑張ると将来の選択肢も広がるから…。今は辛いかもしれないけど、乗り越えた先にチャンスがきっと来るから…。
嘘を言っているわけではないけれど、どこか誤魔化している感じがする。そんな後ろめたさを覚えたことがある人もいるかもしれない。
「頑張る理由」は、そうやって”未来”への期待値から引っ張ってくるしかないゆえに、”今”この瞬間、嫌だ、やりたくない、つらい…と訴える声の切実さに、真正面から応えることができない。
本当は、頑張る理由なんて考えずに、今、自分が好きなこと、やりたいことに没頭して生きていければ、それが一番幸せなんじゃないか。
心の底ではそう思っていながら、「それじゃあ社会でやっていけないから」と自分や周囲に言い聞かせて我慢する思考回路を、僕らはこの数十年で身につけてしまったようだ。
だからこそ、しがらみのない、圧倒的に自由な人たちの生き方や表現に触れると、ちょっと自分の足元が揺らぐことがある。
この人たちは、きっと理由なんて必要としていないんだろうな。
嫉妬と羨望と尊敬と興味が入り混じった気持ちで、「しょうぶ学園」の人たちを眺めていたのが、去年の冬のことだ。
知的障害のある人たちの、自由な表現が開かれる、しょうぶ学園
鹿児島県にある「しょうぶ学園」。知的障害や精神障害等のある方が集い、過ごす、複合型の福祉施設だ。
入所寮やグループホーム、日中利用のデイサービスといった生活の場に加え、和紙や木工、焼き物や縫い物などのものづくりやアートの場、地域に開かれたカフェやパン屋、蕎麦屋といった飲食店も営んでいる。
しょうぶ学園の敷地は地域に開かれており、日常的に多くの人たちがカフェやギャラリーを訪ねてくる。
また、障害のある利用者たちが工房でつくったクラフトやアート作品は、その独特の表現が国内外で高く評価され、福祉施設関係者のみならず、服飾・アートに携わる人たちからも注目を浴びているそうだ。
しかし、そんな外部からの評価とは関係なく、利用者たちは思い思いに、自分のやりたいことに打ち込んでいるのだという。ここでは、施設のスタッフが彼らに何かを教えたり指示をしたりといったことは基本的にしない。利用者の彼らが自分たちのできること・やりたいことを起点に表現をしていけるよう、必要な環境を整える。
真っ白な布や紙に点をうち、色を塗り重ねる。 一枚の布に、ただひたすら針と糸を通していく。大きな木の塊を何度も何度もたたき、削り、彫り進めていく。
今、この瞬間に定位して、行為を積み重ねる彼らの暮らしと表現は、いったいどのようにして生まれたのか。
彼らと間近で接する人たちは、何を思い、考えるのか。
この場所で30年以上彼らと関わってきた、しょうぶ学園施設長の福森伸さんを訪ね、お話を伺った。
失敗から生まれた、「がんばらない」ものづくり
1973年に福森さんのご両親が立ち上げたしょうぶ学園。これまでの歴史を振り返ると、約10年ごとに新たな活動の軸が生まれ、それが地層のように重なりながら今のスタイルへと至ったという。
福森さんのご両親が運営の中心を担ったはじめの10年は、他の福祉施設と同等、障害のある人たちの日常生活における自立を目指す「生活訓練」が中心だった。そこから次の10年、木工をはじめとする多種多様な「ものづくり」の空間が立ち上がったのは、福祉経験のない”門外漢”の福森さんが、放浪の旅から帰ってきたことがきっかけだった。
ここに帰って来たものの、僕ができることはなんにも無いわけ。大学時代はずっとラグビーに打ち込んでいて、福祉の勉強なんかしていないし、アメリカを放浪してから東京でフリーターしてきたわけだから。
でもまぁ、施設長の息子だからってことで、とりあえずアルバイトでいさせてもらえると。何をしようかってときに、「すのこが壊れたから日曜大工して直してくれ」と言われた。それで、自分で板を買って釘を打ったりカンナ引いたりして大工仕事を始めたわけです。
やってみたら意外と自分は凝り性で、本を読んだりデパートに行って研究したりして、テーブルやら棚やら色んなものを作るようになった、と。ものづくりを始めたきっかけはそんなところです。
自分は何もできないと思っていたが、やってみたら意外とできる、楽しい。そんな手応えを得た福森さんは、学園のスタッフや利用者とともに、「工房しょうぶ」というものづくりグループを立ち上げた。
当時の福森さんの胸にあったのは、福祉施設の枠にとらわれず、市場で評価される良いものをつくりたい、という思いだった。
「工房しょうぶ」という名前を掲げたのは、 「福祉施設で作られたもの」に対するイメージから離れるためでした。
デパートなんかで売られている一般の商品に対しては、自分の好みに合わないものがあったら「私はこれ嫌い」とか「ダサい」 って、みなさん平気で言いますよね。
でも、福祉施設で作られたものと聞くと、一生懸命作られたものかもしれないし…と、なんとなく否定できないものに見えてくるんですね。これは福祉施設の商品です、と聞いて「私はこんな作品は嫌いです」と率直に言う方はほとんどいないです。
逆に言うと、福祉施設の情報が入らない限り率直に作品を評価していただける。「工房しょうぶ」の商品に対して、市場からのダイレクトな評価が返ってきて、それを次への課題として生かしていけるわけですね。
作業を重ねるなかで利用者の潜在能力が発揮され、製品の仕上がりも良くなっていく。はじめは外部からの注文を請けて制作していたところ、次第に自分たちオリジナルのクラフト製品を販売していくようになる。しょうぶ学園の利用者も増えていくなか、和紙、縫い物、焼き物、園芸…と、ものづくりのジャンルも広がっていった。
順調に思えた工房しょうぶだが、ここで一つの壁に直面する。
やっていくなかで、何度教えても、どうやっても僕らが思うようには物を作れない、という人も当然出てきます。
僕らスタッフはがんばってものを売りたいわけだから、それでも一生懸命教えるわけですが、当の本人は、なんでできないことを頑張らなきゃいけないか、わからないわけです。
僕たちも、できないことをさせられるって、自分の意思がない限り相当嫌ですよね。でも「仕事だから」とか「お金がもらえるから」と目的を理解して、ある程度我慢して頑張れたりする。
でも、知的障害のある人たちは、良くも悪くも守備範囲が小さいというか…自分の身の丈でシンプルに生きていて、興味のないことをわざわざ頑張ったりしないんです。
市場で勝負できるものを、と一つの「目的」を持ったがゆえに、ものづくりの水準が一定に定まってしまう。その水準に合う作業ができなかったり、そもそも売ることに値しない活動だったりすると、「できない」という評価をすることになってしまう。障害のある利用者に、技術を「教える」というアプローチがはらむ矛盾だった。
そんな、工房しょうぶのものづくりに転機が訪れたのは、ある利用者とのやり取りがきっかけだ。
木彫りの器をつくる作業。ノミをつかって木の塊を彫り進め、器の形に沿って一定の深さで止める必要がある。ところが、何度やっても彫りすぎて穴を開けてしまう男性がいた。
あー、また失敗かなって僕たちは見てるわけですよ。で。見ていたらそのままもっと彫り続けて、最後は全部が木屑になるぐらいまで掘ってしまった。
そしたら「やりましたー!」って達成感に満ちた顔で見せに来るんですよ。ダウン症があって、喋れない人なんですけどね。
「器をつくる」という目的からすれば、木に穴を開けてしまうことは「失敗」である。商品としては売れないし材料費も無駄になる。そんな福森さんたちスタッフのがっかり感とは対照的に、彫っている本人は至極楽しそうにしている。彼の表情を見たときに、福森さんは”ズレ”に気づいたのだという。
僕らがやってもらいたいことと、彼らがやりたいことが、もう大ズレ。ズレにズレまくってたことに気づいたんですね。
器をつくってほしいというのは僕のエゴで、本人のやりたいことと一致していない。彼は穴を開けることで「器は彫れない」と意思表示していたんです。
施設の側が「器をつくって売りたい」と思っていても、それは彼のやりたいことではなかった。彼にとっては、ただただ木を彫ることが、どうやら楽しいようだ。
「器をつくって売る」という目的に立つと、そのために必要な作業水準に達していなければ、「彼にはまだできないことがある」という評価になり、支援に携わる側も「できないことをできるようにする」ことに注力してしまいがちだ。
けれど、彼自身がやりたいことを前提にして考えると、やりたくもないことのために頑張って練習する理由などない、ということになる。
福森さんはこのズレに気づいてから、利用者の「やりたいこと」を起点に、一人ひとりの作業内容をデザインし直していったという。
ひたすら板をたたいて傷をつけるのが楽しい、という人は、毎日ずーっとたたき続けられるようにした。板についたたくさんの傷を”模様”と捉えて、そこに枠をはめて塗装をすればユニークなお盆になる。
抽選器のようなものをガラガラ回すのが好きだという人もいる。中にヤスリを貼り付けて、回しながら素材を磨くのが彼だけの「仕事」となった。
もちろん、細かな規格に合わせて木工品をつくるのが得意・好きだ、という人の場合は規格品の制作に打ち込むこともできる。
変化したのは、作業のデザインプロセス。全員が同じ目標に向けて頑張るのではなく、まず「一人ひとりのやりたいこと・できることは違う」という前提に立ち、工房全体で多様な仕事、ものづくりのあり方を可能にすること。
「できないこと」に目を向けて無理やり訓練するのではなく、それぞれがすでに持っている「できること」が生かされるように、環境の側を変えていく。
福森さんが施設長を引き継いでから10年、しょうぶ学園のものづくりのスタイルが、徐々に確立していった。
「今、ここ」を積み重ねることでうまれる唯一無二の表現
しょうぶ学園の数ある表現活動のなかで、ひときわ独創的なプロジェクトがある。
布の工房から生まれた、nui project(ヌイ・プロジェクト)。
「針一本で縫い続ける」という独自のスタイルから生まれてくる思いがけない表現、そのプロセスにおいて表出する心の動き=心理や行動=アクションのすべてを「その人の個性」として尊重し、サポートすることで展開する表現活動だ。
表現の土台となるのは、たとえばどこにでもある1枚の白いシャツ。そこに、一人ひとりが自由自在に針と糸を通していくことで、世に2つとない作品が生まれていく。
これは、とある利用者が約4年かけて、さまざまな色の糸をシャツの布地が見えなくなるぐらいまでただひたすらに縫い込み続けて出来上がった作品だ。
おおよそ通常の服飾産業では考えられないほどの時間とエネルギーが凝縮されたヌイ・プロジェクトの作品は、国内外の展示会・販売会でも高い評価を獲得している。
ところが、作り手の多くは他者の評価などどこ吹く風だという。
彼らは、自分がつくったものが10万で売れようと20万で売れようと興味がないんですね。縫っている最中はうかつに触ると怒るんですが、終わったら「持ってってー」って感じでポイですよ(笑)
作品が出来上がるまでの作っているときが、彼らの一番の喜びであり楽しみなんですね。だから縫い終わったときには、本人の喜びの時間は終わっちゃっているんです。
僕らはだいたい、スポーツ競技でもビジネスでも受験勉強でも、なにか目標に向かって我慢して努力して、それでようやく良い結果を出して報われる…という「完成の喜び」を前提にして過ごしていますね。でも、彼らにあるのは真逆で、「完成の悲しみ」なんです。
よくよく考えてみたら、僕らの方がしんどい生き方を選んでいるのかもしれないね。完成したら喜ぶということは、完成するまでが非常に辛いということだから。
ヌイ・プロジェクトを含むしょうぶ学園のものづくりの工房では、同じ素材や同じモチーフで、ただひたすらに行為を「積み重ねる」とでもいうような表現が多く見られる。それは彼らが、行為が終わらず続いている時間そのものが楽しい、「完成の悲しみ」の世界を生きているからだろう。
我慢をして成果を出すという「完成の喜び」の世界を生きている僕たちにとって、完成までのプロセスには苦しいことも少なくない。その苦しみを少しでも削減しようと、「効率化」や「省力化」を求める。つまり、ゴールまでなるべく手っ取り早くジャンプしようとするのだ。
健常者の世界の仕事の特徴は、効率よくこっちからあっちへ飛ぼうとすることですね。でも、彼らはそんなふうに飛べないから、今、この場から行為をずっと重ねていこうとするんです。 そこにエネルギーが集積されるっていう感じがあります。
知的障害のある人たちというのは、布や糸を丸にしたり、板を叩いたり、木をただ彫ったりとか、そういう単純な行為がすごく得意なわけです。得意というか、それしかできないという言い方をすることもできるけど、僕らは単純なことには飽きてより複雑化しようとするわけだから、何をもってできる・できないと言うかだよね。
彼らのそんな身体感覚に注目して場をつくることを、「小数のデザイン」と呼んでいます。1の次は2。2の次は3という整数のフレームではなく、1と2の間にある無数の小数の世界。それは究極、ゴールしないで無限に続けられるってことなんですが、一般社会ではなかなか受け入れられないんですね。
ヌイ・プロジェクトをはじめとして、しょうぶ学園の工房での活動は、「ものづくり」の枠を超えて、次第に「芸術」の色をも帯びていくようになる。これが、次の10年での変化だった。
ただ、彼らのつくった作品がどのように見られようと、根底にあるしょうぶ学園のスタイルは共通している。利用者ひとりひとりが、自分の「やりたいこと」ができるように環境を整えること。やってきたのはそれだけだと福森さんは語る。
彼らはいわば、”旬の素材”を作っている人たちです。その旬の素材ができるようになるまでが今までの長い30年だったわけですが、そのために何かを彼らに教えたかというと、何も教えてない。彼らがやりやすい方向にいけるように環境を少しずつ整えていっただけなんですね。
彼らが行為してつくった旬の素材が、そのまま手をつけられないような美味しいものだったら、生で食う方がいいわけでしょ。うちではそれを、「アート(芸術)」と呼んでいるわけですね。一方、素材をピックアップして、そこに僕らが加工したり何かを加えたりして仕上げるものを「クラフト(工芸品)」と分類しています。まぁ、本人からしたらどっちでもいいわけですけどね。
まず第一に、本人がやりたいことをできるように環境を整える。その上で、出来上がったものを外に発信・販売する際は、必要に応じて手を加える。それらの判断はしょうぶ学園のスタッフの仕事になるわけだが、これは決して「コラボレーション」ではないのだと福森さんは語る。
作り終わった旬の素材は、彼らにとってはもう興味の対象からは外れている。それを拾い上げて外にどう届けるかのアイデアと方法を「マッチング」させているだけ。そこには世間一般で言われる対話や共創、コラボレーションといった要素はほとんど生まれない。
「完成の悲しみ」と「完成の喜び」、2つの世界が絶妙な距離感を保ったまま、併存している。
目的が違うんです、両者は。僕らはいかにしてモノにするかということを考えているわけだから、どちらかというと知的な作業…左脳的な要素が強いですね。でも、知的障害のある彼らはその分感性の方、右脳的な要素が強く出ているわけです。
しょうぶ学園では、どの職員も採用されたらまず最初に自分の作品づくりをさせているんですが、それは、作り手としての彼らに尊敬の念を持てるか、ということに関わってくるからです。
僕らも彼らのように、行為している時間そのものを楽しんでやろうとするわけですが、狙えば狙うほどできないんです。どうしても左脳的な部分で、最後にはいくらで売れるだろうかということを考えてしまう自分がみじめになってくるわけですよ(笑)
だから、目的を持たずに行為するというのはめっちゃ素敵なことだと僕は思っているわけ。それを身をもって体感できるか、憧れや嫉妬、みじめさを感じながらも、彼らに尊敬の念を持って接することができるかっていうためにもね、自分がものを作らないといけないよっていう話を僕はするんですよ。
地域に開く、「社会」が広がる。当たり前が、逆転する
本人がやりたいことに没頭できる環境づくりを第一にしてきた、工房での表現活動。では、この考え方を、制作の場に留まらない衣食住、生活全般に広げていくとどうなるか。
今この瞬間の欲求に真っ直ぐな彼らが、さまざまなルールの中で生活を営む地域の人々と接点を持ったとき、その関係性はどのようであると良いのだろうか。
「ものづくり」から「芸術」へ、そして次の10年のしょうぶ学園でテーマとなったのは「コミュニケーション」だったと福森さんは振り返る。
彼らが住むところは、いったいどこが良いんだろうかと考えた時期があって。
世の中では「共生社会」ということが言われていたけれど、実際その多くは、障害者が施設から地域社会の方に出ていく、「社会」の側に適応するということを意味していたんです。でも、社会のマジョリティの側が施設にいる障害者の方に歩み寄る、「社会」の枠を広げるという考え方はいけないのかね。
人が人と関わり合う上で否が応でも発生する相互作用。お互いにテリトリーがあるなかで、完全に自分の思い通りには過ごせない。
そこで、衝突する利害を調整し、集団で共に過ごしていく上での「ルール」を人間はつくりだした。それらは出来るだけ多くの人たちに共有・適応が可能な形で作られてきたはずだが、障害のある人をはじめ、ルールの理解が困難であったり、ルールに適応して行動することに非常にストレスがかかってしまう場合がある。
訓練を通してできることが増え、生活範囲が広がっていく人もいるが、障害の程度や特性によってはそうもいかない、という人も一方で存在する。
信号機の赤・青・黄色、駅の電光掲示板が示す数字、そうした記号の持つ意味、守るべきルールを理解できない人にとっては、地域での生活は危険で満ち溢れている。ヘルパーによる同行支援も、全員が常時つけられるわけではない。
ルールになじみにくい少数派の人たちに、訓練を通した適応を促し続けることが、果たして正解なのだろうか。
福祉の現場では「その人らしく」みたいなスローガンが掲げられているけど、やっぱりその多くは、その人らしくなくしちゃってるんだよね。
なぜなら、その人らしく生きるとやっぱり本人が不利益を被るから。外で「わーっ」て騒いだら迷惑がかかって、苦情が来て、怒られて…と、何らかの副作用が起きるから、本人の表現活動を抑制して、「社会的」に矯正してしまうわけです。
周囲からは奇妙な行動、理解しがたいこだわりに見えることも、本人の側に立ってみると、そこにはなんらかの動機がある。工房でのものづくりでは、それをうまく制作・表現活動へと結びつける環境をデザインすることができたが、街に出てみればそれは通用しない。このギャップをどうすれば良いのか。
福森さんの選択は、しょうぶ学園を、つまり施設そのものを地域に開くことだった。
日本では90年代から、病気や障害、高齢などで生活に困難のある人が、ケアを受けながら少人数で地域生活を送る「グループホーム」が各地に広がりを見せていたが、しょうぶ学園はあえて逆のアプローチを取った。
しょうぶ学園の敷地は、日常的に地域の人たちが入ってこられるように一般開放する。敷地内にはカフェ、パン屋、そば屋、ギャラリー、クラフトショップなどなど…街中にある商業施設と同じように飲食店や販売店を立ち上げた。
すると面白いことが起きた。ここでは、”当たり前”が逆転するのだ。
街中で信号が分からない人が1人でフラフラ歩いたら怪我をしたり怒られたりしますけど、ここでは逆です。学園の中では信号がないですからね、車が停まることになっているんです。自閉症の人がゴロンって寝転んでいても、車に乗っている人の方が謝ることになっているんです。特にルールを定めているわけではないけれども、外部の人たちがここに入ってきても、なんとなくそうなるんですよ。
電車の中で「ぎゃーっ!」て叫ぶと周りにびっくりされますけど、ここでは誰も振り返りませんね。むしろ隣で叫ぶのを手伝ったりする。全員で「ぎゃーっ!」って(笑)そしたら不思議と安定するんですよ。
施設や病院で過ごす障害のある人が外に出ていくばかりが「共生社会」のあり方とは限らない。障害のある人たちの感じ方、暮らしのリズムをベースとして営まれる福祉施設の世界に、外の人たちが入ってくるという、逆の流れがあったっていい。
施設の外側にある世界だけが「社会」だと思ってしまうと苦しくなる。けれど、枠を広げて考えれば、そのままここだって社会ではないか。
どちらかに優劣をつけ、片方にだけ適応を強いるのではなく、それぞれ異なるルールや文化を持った世界が併存しながらお互いに扉を開いていく。しょうぶ学園が発したメッセージは、はじめは驚かれながらも地域の人たちに受け止められ、今では日常的に多くの人たちが学園を訪ね、ここでの時間を過ごしているという。
近くて遠い、隣人を見つめて
色々やってきたけど、第4期とも言える最近は、障害・健常とかではなくただただ「人」のことを考えているという感じがしますね。
僕がしょうぶ学園を訪問した2018年の冬、福森さんは東京にもやってきた。
「soar conference 2018 -語り-」、会場に集まった100人以上の参加者に向かってしょうぶ学園の歴史を振り返ったのち、最近の心境をそのように語ってくれた。
自分が何をやりたいのか。
障害者かどうか、ではなく人としての根底にある欲求をベースに考えたとき、知的障害のあるしょうぶ学園の利用者たちは、どこまでも素直で、自由だ。
彼らは変わらない。ただ自分の好きな行為をしている。揺らいでいるのは、利用者と日々触れ合うスタッフの方だという。
彼らは、きっと自分が変わろうと思っていないんですね。
「あなた、自分のこと好きですか?」って聞くと、「うん、好きに決まってんじゃん」って言うんです。
「なんで自分好きなの、あなた」って聞くと「なんで自分が好きじゃないの?好きじゃなければ生きていられないでしょ」みたいな感じでキョトンとしますね。
「好き?」「うん、好き!」以上、みたいな。ああ、こりゃあいいねえ、と思った。自分が好きで生きていくってことは、一番幸せですよね。
ところが、同じことを職員に聞くと、「うーん…好き、かなぁ…」みたいな反応です。答える前に色々考えちゃうんですね。
教育を受け、成長し、社会性を獲得したがゆえに、自分をコントロールしすぎてしまうようになったのだ、と福森さんは語る。
気遣い、謙遜、恥ずかしさ、一貫性…。
感じたことを表出する前に思考が先回りする。
「考える力」は、確かに人間が進化の過程で獲得した重要な能力だろう。しかしそれは、さまざまなことに意識を向けるあまり、根底にある自分の気持ちを押さえつけ、そして見失ってしまうリスクと隣合わせなのかもしれない。
知的障害という現象を、単に知的な遅れと捉えるのではなく、さまざまな人間の脳機能のうち、認知・思考を通したコントロール能力に、部分的に障害がある状態と捉えてみると、人間に共通する、もう一つの能力が見えてくる。
左脳的なコントロール能力に違いがあるだけで、右脳の方は僕らも彼らも実は同じなんじゃないかと思うんです。もちろん一人一人個性があるから、個人差はありますよ。
でも、どちらが勝っている、劣っているということではなくて、僕らの右脳が本来持っている感性とか表現力といった力を、知的障害のない僕らこそ、もっと大切にすべきじゃないかと、そういうことを言いたいわけです。
そんなふうに考えながら向き合っていると、結局、障害の問題というよりも僕ら自身の問題を発見しているんだよな、と思います。
本来、脳に備わっている感性という点では、彼らも自分たちも、人として同じ可能性を持っている。そう考えながらも、しかし福森さんはどうしても埋められない、彼らとの距離を感じるとも言う。
彼らがもし無人島に置かれたとしたら、それでも絵を描くだろうか、刺繍をするだろうかって想像した時に、多分、そこに筆と紙、糸と針と布があったらやるだろうなという人が、利用者の10人に1人、10%ぐらいはいると思います。確率としてはかなり高いですよね。
「何でやるの?」と聞いたら「面白いから」「材料があるし」と、ただそれだけ。できたものを誰にも見せなくても、誰も見ないところでもやるでしょうね、彼らは。
でも僕は無人島では絵は描けないですね。ほとんどの人もそうだと思います。
たとえ誰も見ていなくても、誰にも求められていなくても、彼らは今日も明日も絵を描き、糸を通す。数多の芸術家や修行僧が目指した「無」の境地に、ナチュラルに到達してしまっている。そんな彼らを見て、嫉妬や羨望の念を抱く表現者も多いという(これを書いている僕もその一人だ)。
禅の世界でも、無になろうと修行する人も多いんですけど、なかなかそっちの世界に行くことはできません。それでもやはり、彼らに近づきたいと僕は思っている。
でも、なれないの、僕らはね。
なれないからこそ、共存したいと思っているんです。
たとえ交わらない人生だとしても
きっと僕は、無人島では表現をしないだろう。
どんなに憧れても、彼らとまったく同じようには生きられない。
誰の反応や評価を求めるでもなく、ただ、興味の赴くままに行為を積み重ねるしょうぶ学園の人たちを見てそう思った。
…だけど、完全には同じになれなくても、彼らと同じく僕たちが本来持っていた感性に、今よりもう少し素直になって生きることはできるかもしれない。
それが報われるかどうか、未来の報酬を基準に頑張るばかりでなく、今この瞬間を楽しむこと。
誰に褒められるでもなく、自分で自分のことを好きであること。
理由も許可もいらない。それは人としてごくごく自然な行為なのだ。物言わぬ彼らから、そんなことを教えてもらった気がする。
トントントントン…
シュッシュッシュ…
彼らは今日も工房で木を叩き、筆を走らせ、糸を通す。
これからの人生で、”今”を見失いそうになったときは、また彼らの暮らしを勝手に覗きに行こうと思う。
関連情報:
しょうぶ学園 ホームページ
工房しょうぶ ホームページ
nui project(ヌイ・プロジェクト) ホームページ
(写真/馬場加奈子、八ツ本真衣、協力/小島杏子、石原みどり)