【写真】参加者の前でトークを行う、登壇者4名

メディアの発達とテクノロジーの進化によって、私たちはいつでも大量の情報にアクセスできるようになりました。オンラインで人と人が繋がるのは容易になり、個人が声を上げる手段も格段に増えています。

その結果、私たちはよりよい社会、より幸福な人生を手に入れたといえるでしょうか?

世界各地で進む分断とどう向き合うか

近年、社会では異なる意見を持つ人の「分断」が進んでいるといわれています。メディアとテクノロジーによって、共感できる情報で自身のSNSのタイムラインを埋め、異なる価値観の人との対話を簡単にブロックできるようになりました。

意見の違う人と議論を重ねるよりも、共感し合う方が心地よいのは事実でしょう。しかし、社会の課題を解決するには、多様な意見を交わしながら、適切な解決策を探る営みが欠かせません。

どうすれば多様な価値観を包摂しながら、私たちは手を取り合っていけるのでしょうか。そのためにメディアやテクノロジーはどんな役割を担うことができるのでしょうか。

そんな問いをみなさんと共有するために、soarでは2017年10月16日(月)に読者向けイベント「メディアとテクノロジーは社会の”ウェルビーイング”の向上にどう貢献するか」を開催しました。

ゲストスピーカーにはウェルビーイングとメディアの両テーマに関わりのあるお三方をお迎えしました。

情報学研究者で株式会社ディヴィデュアル共同創業者ドミニク・チェンさん。「一人ひとりが『ほしい未来』をつくる、持続可能な社会」をめざすウェブマガジン「greenz.jp」編集長の鈴木菜央さん。子どもの発達が気になる保護者向けポータルサイト「LITALICO発達ナビ」編集長の鈴木悠平さんの3名です。

「情報を知っている」ことの大切さとメディアの役割

【写真】参加者の前で、マイクを持ってにこやかに語るくどう

はじめに、NPO法人soar代表理事/編集長の工藤瑞穂が、soarが実現を目指す社会の姿について説明しました。soarが実現したいのは「多様な生き方を認め合うプラットフォーム」を構築すること。

soarは「人の可能性が広がる瞬間を捉えるウェブメディア」として、何らかの理由で可能性を発揮できない人に向け、同じ悩みを抱える人のストーリーや課題解決に繋がる事例を発信してきました。

工藤:私たちは一人一人が可能性を活かすことで、より幸福な人生を実現できると思っています。そのためには、困難を抱えている人が自分の可能性を信じられ、周囲にいる人が理解を示してあげることが不可欠です。

soarの役割はそうした関係性を紡ぐきっかけとなる情報を届けること。ただ広く届けるのではありません。読んだ人の価値観を揺さぶるような“深い”情報を提供できるように心がけています。

【写真】トークイベントの全体写真。たくさんの方が参加してくださっている

モリ:会場の中で”ウェルビーイング”を完璧に理解できているという人はいるでしょうか?

登壇者の発表に移る前に、ファシリテーターのモリが会場に問いかけます。

「おそらく、いらっしゃらないですよね、僕もです(笑)」とモリは今回のイベントのテーマについて話を続けます。

【写真】手振りを交えながら、参加者に向かって語るもり

登壇者の一人であるドミニクさんが監訳した『ウェルビーイングの設計論 ―人がよりよく生きるための情報技術』において、ウェルビーイングとは人間の「心の充足」を科学者が正確に分析するために用いられる概念であると書かれています。

しかし、心身の健康や自己実現など、複数の要素から成り立つ「ウェルビーイング」の姿は未だに誰も明確に捉えきれていません。

誰もが曖昧にしか捉えられていないからこそ、今日はみなさんと一緒に考えたい。

モリがテーマに込めた想いを語ります。

日本におけるウェルビーイングとテクノロジーの関連を探る試み

今回のテーマについて、まずはドミニクさんから監訳した書籍や個人の活動を通して「テクノロジーとウェルビーイングはどう関係するか」についての共有がありました。

「心の良い状態」を科学的に分析するポジティブ心理学の視点を紹介し、ウェルビーイングを捉えるための視点を挙げていきます。

ドミニクさん:ポジティブ心理学では人の能力が発現されたときに、真のウェルビーイングが実現され得ると考えます。“flourish”と呼ばれるこの概念は、soarの掲げる”人の可能性が広がる瞬間”に近いのかもしれません。

【写真】どみにくさんが、参加者に向かって笑顔で話をしている

ドミニクさんがウェルビーイングに関心を持つきっかけは「文明の発展によって人間の心は充足してきたのか?」という課題意識でした。現在は日本文化に特徴的な考え方を起点に、ウェルビーイングとテクノロジーの関連を捉える「日本的Wellbeingを促進する情報技術のためのガイドラインの策定と普及」という研究プロジェクトに携わっています。

例えば、心臓を立方体で物質的に表し、人の鼓動に触れられる『心臓ピクニック』や、ウェルビーイングに関するヒアリングを1000人に行うプロジェクトなどによって、日本におけるウェルビーイングの姿を捉えようと試みてきました。

ドミニクさん:西洋で考えられるウェルビーイングを日本に押しつけてもうまく機能しないでしょう。万人に効くような解決策ではなく、それぞれの人同士で奇跡的に共通する一本の糸を探していくような営みが必要だと考えています。

ウェルビーイングを作るコミュニティDIYの取り組み

次に登壇したのは鈴木菜央さんです。菜央さんは、活動を通じて「一人ひとりが『ほしい未来』をつくる、持続可能な社会」を目指し、ウェブマガジン「greenz.jp」の運営だけでなく、コミュニティや学びの場を運営してきました。

積極的に社会をよりよくするコミュニティづくりに取り組んできた菜央さんですが、二つの点からソーシャルデザインの限界を感じたといいます。

菜央さん:一つ目はひと握りの人が頑張りすぎて孤独を背負ってしまう「個別的ソーシャルデザインの限界」、二つ目が「ドーナツ化現象」です。大きな社会課題に力を注いだ結果、自分自身と周囲の人との幸せがぽっかり抜け落ちてしまう状態を指します。

【写真】真剣な表情で語るなおさん

自身がドーナツ化現象に陥ってると気づいた菜央さんは、千葉県いすみ市に引っ越し、コミュニティーを巻き込んで家作りを始めました。デッキの設置などを手伝ってくれる人を探し、完成までに100人が関わりました。

参加者同士が交流を深める様子をみて「みんなでDIYする楽しさを実感した」という菜央さん。家づくりの次は地域通貨にも取り掛かります。地域の誰かがFacebookに依頼内容を投稿すると、地域の誰かが手助けを行うというシンプルな仕組み。やりとりは紙でつくった簡易的な通帳を記入します。この地域通貨が、思わぬ効果をもたらしました。

菜央さん:Facebookページでは、「コンクリートに穴を開けたいんだけど」とか「魚を網から取るのを手伝って」など、様々な困りごとが投稿され、コミュニティ同士で助け合いが生まれています。

最初は誰かに頼るのは勇気がいります。ただ、助けを求めることは、他の人の才能を活かす機会にもつながります。頼られる側にとっても、自身の才能を発揮して他人に貢献した経験が、自分を認めるきっかけになるかもしれない。気軽なお願い事を通して才能を生かし合う関係が、ウェルビーイングが増幅する可能性を秘めているのではないでしょうか。

有限性を抱えているからこそよりよく生きられる

最後に登壇したのは月間240万人が訪れる「LITALICO発達ナビ」編集長の鈴木悠平さんです。同媒体では、発達障害に関わる情報をわかりやすく発信するだけでなく、ユーザー同士の交流の場も提供しています。

メディアの編集長でありながら、彼は「もはや発信側が答えを提示する時代ではない」と考えているそうです。その理由は、他人に対してラベリングすることの危うさにありました。

悠平さん:例えば「発達障害」というラベルについて。医師の診断を受けたことで「自分の生きづらさの原因がわかってホッとした」と語る方もおられます。ラベルそれ自体は、自分自身を知るためのかけらのひとつとして考えればいいと思います。一方で、「発達障害当事者である」というラベルにあまりに強いアイデンティティーを感じてしまうと、そのことが排他性や分断につながる場合もあります。

「発達障害」の症状には個人差があるのに、自分の体験と違う言説に対し「それは発達障害ではない」と決めつけてしまう恐れがある。すでに辛い思いをしていた人が、ラベルを得たことで、より苦しい想いをしてしまうこともあるんです。

【写真】腕を組みながら語るすずき

人は誰もが単一のラベルではなく、いくつもの属性に紐づいているという悠平さん。元広告会社でプランナーとして勤務しており、ALS患者の武藤将胤さんへのインタビューから得た、ウェルビーイングの手がかりを共有してくれました。

悠平さん:前向きなエネルギーに満ちた武藤さんに「明日の自分を想像して怖くなる夜はありますか」と思い切ってたずねたんです。そしたら「もちろん怖いけれど時間が有限なのは誰もが同じ。諦めずに一瞬一瞬を積み重ねていく」とおっしゃっていました。誰もが生きる上で悩みの種となる属性を抱えている。けれど、みんな同じ有限性を抱えていると認識できれば、そんな自分の日常と真摯に向き合えるのではと感じたんです。

人と人の関係性から立ち現れるウェルビーイングの姿

ウェルビーイングと情報技術についての解説をしてくださったドミニクさん。自分が何を求めているかを見つめ、他者との関係性の中で楽しさを見出すことの大切さを共有してくださった菜央さん。自分の弱さや有限性を見つめることで、今に向き合うようになった悠平さん。それぞれ異なった角度から「ウェルビーイング」を高める要素について共有してくださいました。

ここからは3人がウェルビーイングとメディアの関係性について意見を交わします。

【写真】ウェスビーイングとメディアの関係性を一覧にしたスライド

ドミニクさんは、悠平さんの指摘した「有限性」について「死や老いといったネガティブな概念に、ウェルビーイングの鍵があるのでは」と、2人に質問を投げかけます。菜央さんは、一見ネガティブなように見えることも、捉え方を変えることでポジティブに受け取ることができると語ります。

菜央さん:永続する文化を作る「パーマカルチャー」という考え方では、身の回りのあらゆる事柄が資源になると捉えます。老化や死、能力の差など人の有限性も資源の一つです。例えば、地域通貨では若者の困りごとがおばあちゃんにとって楽しみになったりする。忙しい両親の代わりに、おばあちゃんは喜んで幼い子どもの面倒をみてくれます。人の関係に有限性という要素が加わったことで、一気にウェルビーイングが増大するんです。

悠平さん:有限性を大切にするには、能力や効率性といった尺度以外で、人の存在理由を見つけてあげる必要があります。例えば、作業は遅いけれど、いるだけで「なんかいいよね」と周囲を安心させる人がいたときに、その人の存在も認めてあげられるような関係性が求められているのではないでしょうか?

関係性を変えることで有限性がウェルビーイングを増大させるという話を受け、ドミニクさんは「関係性を起点にウェルビーイングを考えなければいけない」と見解を示します。

ドミニクさん:普通は個人がウェルビーイングを達成してから、社会がよりよくなるという順番を描くでしょう。この発想を逆転させる。関係性が“flourish”しているかを見つめるところに、より成熟したウェルビーイングの捉え方のヒントが隠れているのかもしれません。

【写真】トークセッション風景。どみにくさんがなおさんに向かって話している

メディアが断絶を生みださないためにできること

メディアはウェルビーイングを高めるために、どのように関わることができるのでしょうか。ドミニクさんは、現状の多くのメディアが関係性を紡ぐどころか断絶を生み出しているといいます。

特に政治や社会課題については、読者の嗜好性に従って情報が届けられる「フィルターバブル」の効果によって、対立が煽られている現状もあります。思想の違いによって前提とする社会の認識が違うため、議論が生まれる余地が失われ、互いに感情的な批判を繰り返す様子も珍しくありません。

【写真】トークセッション風景。参加者は、スライドを眺めたりメモを取りながら話を聞いている

多様性を許容し、人々をウェルビーイングな状態にするために、メディアは何を伝えていけばいいのでしょうか。菜央さんは「マスの限界」について話します。

菜央さん:メディアはこれまで物事を大きく捉えてきました。この限界を感じています。現代では、個人の小さな物語に光を当てないといけない。フォルダー型で「〇〇な人」と大きく分類する代わりに、一人の人にいろんな種類の属性を付けていくタグ型で情報を共有するイメージです。

分断の進む現代においては、一つの意見の相違が「この人と自分は別の人間だ」と決めつける原因にもなり得ます。一人の人を多面的に捉える小さな物語は、多様な考えに触れる機会を与えてくれる。

【写真】トークセッション写真。なおさんとどみにくさんがマイクを握り、話している

小さく、個別の事例に焦点をあてるという菜央さんの意見を受け、ファシリテーターのモリは「テーマを持ったメディアが分断を生まずに成立するにはどうすべきか」という疑問を投げかけます。

greenz.jpやLITALICO発達ナビ、soarも特定のテーマに沿って発信する媒体である以上、読者が共感する情報だけを提供し、世界観を共有しない人を締め出してしまう危うさを抱えています。テーマを決めた媒体で編集長を務める二人は、どのように分断を助長しないメディア作りを心がけているのでしょうか。

悠平さん:定期的に別の視点から水を差すようにしています。心地よいビジョンとテーマに安住せず、考えの違う人との接点を作る。あるいは前提を少し疑って、企画を立てることもあります。

新たな視点を常に取り入れる、前提を疑う、別の考えに触れるなど、媒体の運営者に求められる姿勢について共有してくれた悠平さん。続いて菜央さんは「読者を考えるプロセスに参加してもらう」という視点を加えます。

菜央さん:メディアはあくまでリアルな社会に仮説を立てる役割と位置づけています。僕ら自身が観察して社会の一端から仮説を立てて読者に委ねる。そこから記事を読んだ人が行動によって答えを探り、その過程がまた記事になる。メディアとリアルを行き来しながら、多様な読者を巻き込むサイクルを意識してきました。

仮説検証の途中をメディアが共有することで、読者にも自ら考える余白が生まれます。これ以上メディアによる分断を深めないために、読者の自立性を尊重する仕組みは大切な要素といえるでしょう。

【写真】トークセッションを聞く参加者の様子。みな、真剣な表情で前を向いている

菜央さんのお話からは、情報を受け取るだけでなく、与えられた問いを自ら考える能動的な読者の姿が浮かび上がってきました。しかし、具体的に読み手はどのような行動を起こせばいいのでしょうか。

作り手目線からの質問に続き、モリはメディアの受け手の目線から質問を投げかけます。

モリ:どれだけメディアが、読者のウェルビーイングを高めるように、と考えて情報を発信しても、読者が見つけられなかったり、理解はできるけれど実現ができない、という場合もあるはず。情報を受け取る個人は、メディアにどのように向き合うべきなのでしょうか?

悠平さん:メディアから得た情報を、どう解釈するか、行動するかは人によって違っていいと思っています。すぐに誰かに声をかけるといった能動的な行動でなくとも、違和感に対して疑問を持つといった静的な行動でもいい。簡単に納得しない、モヤモヤを抱えておくというのもひとつの「勇気」なのではないかと思うんです。

悠平さんの「勇気」という言葉を受け、ドミニクさんはメディアを通して自らのウェルビーイングが高まった経験を共有してくれました。それは、自らの吃音について語った対談がWIREDに掲載された時のことです。

ドミニクさん:パーソナルな話が表に出るのは恥ずかしかったのですが、Twitterで知らない人から沢山の励ましや感謝の声が届きました。勇気を出して弱さをさらけだしたことで、自分や周囲のウェルビーイングに貢献できた気がしたんですね。

先ほどネットによってウェルビーイングが損われている事例について話しましたが、まだまだネットが社会的なウェルビーイングに寄与する余地は残っているはずです。その鍵は、お互いにちゃんと弱さをみせられる点にあるのではと感じています。

【写真】トークセッション全体風景。もりが他の登壇者に向かって話している

あえて弱さを見せることから紡がれる関係性

しかし、自分の抱えている困りごとを共有するのは容易ではありません。他人に迷惑をかけてはいけないという意識から「弱さ」をみせる行為を躊躇ってしまう人も多いかもしれません。

「弱さをみせる」という点について、菜央さんは地域通貨の例をもとに、従来とは異なる「弱さ」への見方を提案します。

菜央さん:僕たちの地域通貨では、残高のマイナスは祝福すべきことです、なぜなら、それだけ自分が弱さを見せて、人を頼った結果、他人の才能を引き出したことを意味するから。

「地域通貨」の仕組みが人のウェルビーイングを生むように、「メディアも人と人の繋がりや感情に寄り添うように作っていくべきなのでは」と、菜央さんは問いかけます。

その一つとして菜央さんが提案するのが、「まだわからないものを一緒に学び合う生態系」としてのメディアという考え方です。

菜央さん:今って「大枠だとこうでしょ」という一方的な既存メディアの語りと、特定の人にしか届かない個人の呟きを埋めるメディアが不足していると感じます。

社会の課題について読者と双方向に意見を交わし、一緒に考えながら成長していくようなメディアが必要なのではないでしょうか。

【写真】受付に設置されている、soarの案内板

ウェルビーイングに寄与するメディアの共通項

最後に会場からは「ゲストの3人にとって、自らのウェルビーイングが向上するメディアにはどのような要素があるか」という質問が挙がりました。

悠平さん:僕はメディアに携わる人の偏愛で成り立つメディアが大好きです。好奇心に対してオープンである、あるいは開き直っているとも言い換えられるかもしれない。自分の関心を認めて素直に対象と向き合う姿勢が大切だと感じます。

菜央さん:完全無欠な答えではなく、仮説を示すメディアではないかな。弱さを認めて一人の人間として、一緒に考えていこうと呼びかけるメディアが理想ですね。主語が自分でも許されるメディアが、人間のウェルビーイングを支えるのではないでしょうか。

答えを提供しないという点についてはドミニクさんも深く頷いていました。

ドミニクさん:読み手の自律性を尊重しているメディアが必要です。結論ありきで書いていたり、意見を押し付けるメディアは、瞬間的には快感を与えることができても、自律的な思考や判断を鈍らせてしまうからです。

最後に、モリは今回の対話を受け、私たちがウェルビーイングの姿を捉えるためのヒントについて見解を述べました。

モリ:それぞれの抱えている状況や経験によって、ウェルビーイングの意味はまったく異なります。まずはどのように多様な価値観が共存できるかという点に立ち返る。そこからウェルビーイングを突き詰めるために、今日のように色んな人たちと対話・思索を重ねる時間が必要なのではと感じました。

【写真】イベント全体写真。たくさんの参加者で会場の後ろまで埋まっている

スマホを開けばとめどなく情報が流れてくる昨今、わからないものをわからないままにするのは簡単ではありません。検索窓に単語を打ち込めば、納得できる答えが返ってくる便利さは手放し難いものです。

しかし、曖昧なままにしておくからこそ、より深く自分を見つめられることもあります。今回のセッションでも、たった1つの解答を導く代わりに、3人の意見が並列に浮かんでいたからこそ、私たちはウェルビーイングの新たな側面に触れられたのではないでしょうか。

誰もまだわからない問いに価値を見出し読者と共有すること。これもまた、ウェルビーイングを実現するメディアが担うべき役割といえるのかもしれません。

関連情報
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(写真/馬場加奈子)