こんにちは!ますぶちみなこです。
わたしは、双極性障害Ⅱ型という精神疾患を抱えながらフリーランスで働いているイラストレーターです。
2年ほど前に双極性障害Ⅱ型についてこんなコラムを書きました。
「双極性障害Ⅱ型」って知ってる?躁うつが激しい病気とともに仕事して暮らすイラストレーター・ますぶちみなこさんが伝える、自分に無理のない生き方
コラムが公開されると、たくさんの感想をいただきました。様々な感想をいただきとても驚いています。「こんな病気があることを知らなかった」というひとや「『病気と闘う、やっつけるという考え方ではなく、うまく付き合う』という考え方っていいな」と言ってもらうことも。
また、コラムがきっかけで「わたしも近いものがあるかも…」と気づき思い切って病院へ行ったというひともいらっしゃったんです!
自分ひとりで延々と悩み苦しんでいたこの双極性障害Ⅱ型についてたくさんのひとと共有だけでなく、違った困難を持つ人にも何かが届くことがあると実感してとても嬉しかったです。
あれから2年のあいだに状況も変わってきました。この2年での変化や、あたらしく始めた工夫などをみなさんにお伝えしたいと思います。
気分の落ち込みについていけない。苦しかった日々
わたしは長い間、心身の不調を抱え、学校や会社で働くことがうまくできませんでした。
新卒でハードに働いていた頃、手が震えたり動悸がするなどの症状が出始めます。そこで初めて心療内科に助けを求め、最初は「不安障害」という診断がつきました。
私は、小さな頃からちょっとしたことを気にして引きずってしまう性格だったんですが、その“気分の落ち込み”になかなか対処できないでいました。
たとえば、中学生の頃に将来イラストレーターになると決め、美大を志していましたが、受験前になると気分が塞いで布団から出れず、まったく勉強ができませんでした。気分の落ち込みは、私の人生で大きな悩みだったのです。
働いても半年たっては辞め、しばらく休んでから、また半年働いては辞め…の繰り返し。病院もあちこち通ってはいましたが、抗うつ剤を中心に処方されていました。
わたしはとにかくこれをなんとかしたかったのですが、どんなお医者さんに診てもらっても、どんな薬を飲んでも全く効いた感じがしませんでした。自分の辛い気持ちから一時的に逃げるため、自傷行為を繰り返していたことも。
一人のお医者さんにずっと経過を診てもらっていなかったので、気分が落ち込む時期がある一方で、精力的に活動できる時があることに自分で気づいていませんでした。
たくさんの人が集まる場所でいっぱいお喋りをすると、テンションが上がりすぎてしまいます。また、収入に見合わない買い物を「きっと大丈夫だろう」と勢いに任せて買ってしまったことも。生活面でも、睡眠が足りてないのに朝ワクワクして早く起きすぎてしまうこともありました。症状が極端で、自分でも自分が分からない状態だったのです。
いわゆる、「うつ病」とは違うらしい。でもこの落ち込みや、不安定な心身はどうしたらいいだろうと悩む日々。
「境界性パーソナリティ障害」「気分変調性障害」。さまざまな診断がつきましたが、どれもしっくりきませんでした。処方された薬が効くとも思えず、こうやってつらいまま過ごすしかないのかなと、もう半分諦めかけていた頃。
そんなわたしをみて友達がアドバイスをくれました。
元気すぎるときと落ち込む時を繰り返す、「双極性Ⅱ型」なのではないかということ。ネットで調べてみると、症状が自分にぴったり当てはまると感じました。そこからお医者さんと相談して薬を変え、双極性障害Ⅱ型の治療をはじめたのです。
躁うつが激しい「双極性障害Ⅱ型」という病気
双極性障害は「躁うつ」と呼ばれることもあり、Ⅰ型とⅡ型があります。Ⅰ型は激しい躁状態で衝動的な行動をしたりすることがあるので、周囲が様子の違いに気づいてくれる場合があります。
でも、わたしの持っている双極性障害Ⅱ型は、Ⅰ型に比べて躁が軽い、軽躁と呼ばれる症状が出ます。「軽い」と聞くと対処も簡単かと思われるかもしれません。でも、軽躁の時に無理を重ねると、その後のうつ状態の症状が強くなってしまうことがあります。患者本人も「調子がいい」と感じているので、病気の症状として認めることが難しいことが多いと聞きます。
わたし自身、周囲からも「なんだか上がり下がりの激しい人だな」程度に思われてしまうことが多かった。「病気かもしれない」という発想に辿りつくのがなかなか難しい、厄介な病気なんです。寛解(症状が軽減して過ごせること)は可能だけれど、再発率がとても高い、とも聞いたことがあります。
「活動しすぎ」に気をつけ、根気強く軽躁と付きあう
わたしはそんな双極性障害Ⅱ型がありながら生活するため、これまで様々な工夫をしています。
まず薬のこと。治療の中心になる気分安定薬は血中濃度を保つ必要があるため、毎食きちんと食事をして必ず服薬します。そのためにピルケースに一食ごとに薬を分けて飲み忘れないように管理。1週間ぶんを分けて詰めて、外出先にも持ち歩きます。
体のケアもできる範囲でやります。デスクワークでずっと座りっぱなしなことも多く肩こりや頭痛があるので、できる範囲でストレッチをしたり、天気のいい日はゆるくジョギングをしたりもしています。
軽躁になってしまったときは「あれもやりたい!これもやりたい!」という気持ちになって、無理をしてしまうことがとても多かったです。気分に任せて無理をしてしまうと、そのあと大きなうつの波が来てしまうことも…。
うつ状態を抜けて気分が上がってきたときは、目の前がぱあっと明るくなったようで爽快な気分になり、なんでもできるような気持ちになってしまうんです。それで勢いに任せて、調子が悪かった間にできなかったことを一気にやろうとしてしまいます。わたしは今までずっと軽躁状態を自分の「普通」だと思っていたので、「これは症状だよ」と言われた時はとてもショックでした。
それでも、主治医に何度も根気強く「軽躁状態を抑えることが大事だよ」と言われ、少しずつ考えを変えていきました。自分でも気分や体調がドタバタすることに疲れていたし、もう少しゆったりと過ごせるようになりたいと思っていたんです。
そこから、うつ状態のときも軽躁状態のときも、できるだけ無理をしないことを心がけるようにしていました。気分の波を安定させるために、元気なときほど「活動しすぎ」に気をつけて。
これがどうしても難しかったのですが、軽躁状態のときに思いついたアイディアを何人もの知り合いに連絡しまくって後で後悔したり、気分が高揚して大口を叩いてしまい、お叱りを受けたこともありました。あのときの「もうあんな思いはしたくない」という思いがあるからこそ、治療にも前向きになっていきます。
もっと自分のために生きていいし、幸せになったっていいんだ
この2年間は、通院と服薬をしながらも、「よりよい自分になるには?」「よりよい生活を送るには?」と考えつづけててきました。
調子の波に飲まれてしまい、投げやりな気持ちになることもあります。
それでも、「障害を理由にできないことはあっても、幸せに過ごしたい」と思えるようになってきた気がします。
思えば今までは、周囲からの見え方を気にしすぎていることが多かった。もちろんTPOに合わせた振る舞いをすることは必要だと思うけれど、人生のほとんどの時間は“自分の時間”。
もっと自分のために生きてもいいのかもしれない。
そう思うようになっていきました。
「わたしは幸せになってはいけないんだ」というような、幸せになることへの後ろめたさみたいなものがあったのですが、それも小さくなっていきました。
思い切って好きなヘアスタイルにしたり、好きな色のネイルに挑戦したり。自分自身をいきなり丸ごと好きになろうとするのはむずかしかったので、好きなことをして少しずつ、「自分を嫌いになりにくくする実験」をしている感覚です。
自分へ対する声かけも、ずいぶん変わりました。
以前から衝動的におやつを食べてしまうということに悩んでいて、過食症を疑ったこともありました(ポテトチップス1袋くらいなので、調べたところ違うみたいなのですが)。いつも「食べちゃだめ!」と思うと余計につらくなってしまい、またポテトチップスを買ってしまう…。
どうやら「〜しない!」という強制的な声かけは、心が反抗してしまうみたいなのです。その代わりに毎日見るメモに「おやつを食べるなら“あたりめ”!」と書いて毎日見ていました。あたりめなら代わりに食べてもいいんだ、と思うと不思議と気持ちが楽になって、ポテトチップスの一気食いが減っていったんです!
これは他の行動にも使える声かけだと思うので、もしやめたい習慣があれば試すことにしています。
最近では、英会話が趣味になったので家で一人でアプリに話しかけたり(笑)、月に1〜2度カフェでネイティブの先生に英語を教わっています。学校を卒業するとどうしても新しいことに挑戦することも減ってきてしまいがちだったので、リフレッシュにもなってとてもいい感じです。海外や日本の文化について知ることも増え、自分の世界が広がってきました。
新しいことを学ぶというのは、自信にもつながるんだなと感じます。
生活習慣を変えることで、幸せな時間が増えた
ひとつ大きく変わったことは、生活習慣が変わった、ということ。
フリーランスという働き方で、かつ自分の趣味と密接につながった仕事をしているため、今まで“常に働いている”ような感覚がありました。いつも気を張っていて疲れてしまうんです…。
最近では、活動をしすぎないように「今日はここまで」と決めて、急ぎでないものは翌日に回すように変えてきました。メリハリをつけるためにも、金曜日の夜は外で食事をして気分転換をし、1週間の区切りをつけたりもしています。
一番の変化は、朝型になったことです。小さい頃から朝起きるのが苦手でしたが、偶然に朝はやく起きれたときの心地よさに感動。朝起きて少しヨガをしたり、英語の勉強をして1日の計画を立てる…という風にひとりでゆったりする時間が今はとても幸せに感じます。気圧の関係や調子の良し悪しで起きれないときもありますが、「そんな日もあるよね〜」と、あまり気にしないようにしています。
また、スケジュールの調整も気を使うようになりました。わたしは人からイベントなどに誘われると「とりあえず行ってみようかな」と思うタイプでした。結果、スケジュールがパンパンになってしまい、疲れが溜まったり軽躁に傾きやすくなることも。今は、人と会う予定を少し調節させてもらっています。もともと少ないエネルギーを温存することで、波も少なくしやすくなってきました。
なんでも計測。けっして自分だけで思い込まない
「思い込みをやめる」というのも、続けてきた工夫のひとつです。
たとえば睡眠のこと。双極性障害Ⅱ型では、睡眠に影響が出ることがあります。すっきり起きれたら「よく眠れた!」と思いがちですが、ほとんど眠れていなかったにも関わらず気分だけ爽快なことがあります。
そこで、わたしは手首に巻くウェアラブルデバイスを使いはじめました。正確に睡眠に関してのデータを出してくれるので、とても心強い存在なんです。「8時間くらいたっぷり寝れたかな〜」なんて思っても、ウェアラブルデバイスのデータを見たら3時間ほどしか眠れていないなんていうこともしょっちゅう。
ただでさえ感情に振れ幅がある障害なので、主観で思い込まずに客観的なデータで判断することはすごく大事だと思います。今はよく眠れなかった日はお昼寝で補ったり、活動量を調整します。一般的にウェアラブルデバイスは活動量を上げたい人が使うことも多いと思うのですが、わたしはむしろ「休むため」に使っています。
そして、様々な工夫をしても、どうしても落ち込むときはあります。それでも、自分なりに対策ができるようになってきました。
まず、夜に考えすぎないことです。どこかで「考え事は、夜ではなく朝の明るい光の中でしなさい」という格言を聞いたことがあるのですが、本当に夜は考えがマイナスになりやすいと思います。
なのでわたしは、夜に寂しさを感じて持て余したときは、「夜だからこう感じるんだ」と考えるようにしています。以前は人に連絡を取ることが多かったのですが、誰もがすぐに応えてくれるとは限りません。反応で余計に寂しさがつのってしまうこともあるので、お気に入りの画像や動画をみたり、ゆったりできる音楽を聴いて眠れるようにしています。
ただ、人によって落ち込むシチュエーションは違うかもしれません。わたし自身も最初は、「わたし、ここにいると落ち込みやすいな」といった法則のようなものを見つけられないかと考え、記録をつけていったおかげで、自分の落ち込みがわかりやすくなりました。SNSや日記などからも見つけることができると思います。
わたしは雨の日やその前日も具合が悪くなりやすいので、そういったときは思い切って「雨だからしょうがない!」と割り切るようにしていきました。理由を全部自分に結び付けないことも大事だと思います。
自分の取扱説明書をつくり、工夫して仕事をしよう
仕事のほうは、周囲の人の協力もあり、おかげさまで、だんだんとご依頼が増えてきました。障害を持っていることで健康な人ほどは働けないと思っていましたが、自分なりに少しずつステップアップできているのかなと思います。
わたしは「自分の取扱説明書」をつくって、仕事用の自分にウェブサイトなどに載せています。そこには、自分のできることできないこと、苦手なことはできたらこうしてほしい、ということなどがまとめてあります。
「双極性障害Ⅱ型という病気を持っています」と言っても、どんな症状があるかパッと相手に伝わることは難しい。人それぞれ症状や困りごとも違うので、これをつくってからは、良好な人間関係が作りやすくなりました。
また、毎日タスク管理をして、タスクひとつひとつを小さく設定することで達成しやすくしています。取りかかるハードルが下がるだけでなく、達成すると「やった!」と嬉しい気持ちになります。
仕事の質自体の評価は人にしてもらうものかもしれませんが、自分が「できた」ということは自分で評価できます。「人に評価されたい」という思いも、過剰なものではなくなった気がしていて、心が安定するようになりました。
主治医が書いてくれたわたしの診断書には「サポートがあれば働ける」と書かれています。全く働けないわけではないのかもしれないけれど、その一文には複雑な思いを抱くこともありました。
今わたしはありがたいことに家族や周囲のサポートを受けながら働いていますが、「サポート」は様々なツールからも受けることができると思います。スケジュールアプリで出発時間を計算して記入しておくこと。やること、やりたいことを書き出してメモやタスク管理アプリで管理すること。気圧や天気の変化を記録できるアプリや、感情の記録ができるアプリもあります。
社会の働き方も多様化してきていますが、その変化を待つだけでなく、自分で工夫することは大事かもしれないなと思います。
SNSはどっぷりハマらず、ときどき忘れてみるのも大切
今多くの人がSNSを利用していますが、付き合い方に悩む方も多いんじゃないかと思います。
わたし自身、この数年間、SNSを毎日使っています。特に病状がひどいときには毎日毎日、つらいことを書きなぐるような日々もありました。他の人の幸せそうな投稿を見ると羨ましくて自分が情けなくなり、気分がひどく荒れることも。
そんなときは、あまりに気になってしまう人の投稿は一時的に見れないようにします。SNS自体から離れられそうなら、少しSNSのことを忘れて没頭できることをします。わたしの場合は、読書や文章を書くこと、趣味の英語学習など。お風呂にゆっくり浸かったり、料理を楽しむなど、自分に合った「夢中になれること」があるといいですよね。
SNSは手軽で便利なものですが、どっぷりとハマってしまうと疲れてしまいます。
でも冷静に考えると、わたし自身も出来事の全部を投稿しているわけではなく、なるべくいいことを投稿します。だから、他の人もきっとそうなんじゃないかなと。SNSには他人のいい面が多めに出ているんだと思ったら、少し気持ちも楽になりました。
回復への歩みはカウンセラーさんと二人三脚で
症状の治療のひとつとして、継続的にカウンセリングを受けていますが、私にとってカウンセリングは大事な回復の場です。
双極性障害の方でカウンセリングを頻繁に受けている方はめずらしいかもしれません。わたしは主治医に言われているので、毎週病院で診察とカウンセリングを受けています。
「認知行動療法」という物事の捉え方の歪みを整える手法を経て、今は「自由連想法」という手法で治療を受けています。言葉のとおり、思い浮かんだことをなんでもカウンセラーさんに話していって対話をしていく、というものです。
わたしは小さな頃から自分の感情を抑え込んでしまうクセがあり、思ったことを伝えることが苦手です。でもカウンセリングでは、思ったことをなんでもカウンセラーさんに話します。最初は上手くできませんでしたが、少しずつ「この人にならなんでも話せるな」という信頼感ができてきました。
今までも様々なカウンセラーさんに治療を受けたことがありますが、相性というものもあるんだと思います。合わない先生もたくさんいました。カウンセリングは保険適用外なことが多く、継続するのはハードルが高いかもしれませんが、信頼できるカウンセラーさんとの時間は自分自身にも良い変化を与えてくれています。服薬だけではうまくいかない感情の処理にもいいと思います。
わたしにとってカウンセリングは、カウンセラーさんと二人三脚で階段を上っていくような場。一方的に治療されたり、何かを教えられたりするという感覚とはかなり違います。自分の内面についてこれほどじっくり考えられる場はなかなかありません。
カウンセラーさんもきっと、患者自身が気づいていくのが本当の回復だと捉えているのだと思います。わたしも、自分の感情に蓋をする癖も少しずつ改善してきて、心の状態に少し早めに気づきやすくなってきました。
今は自分の内省にも、いろんな工夫をしています。
たとえば何か改善したいことがあるとき、一人で考えるのはなかなか難しい。紙に書きなぐって目に見える形にすることもありますが、自分ひとりで考えていても発想に限界がある。そんなときは身近な人に「これを改善したいけどどうしたらいいかな?」と聞いてみます。
また、壁打ちといって、こちらの話に思ったことを質問してもらう、ということをお願いすることもあります。自分で感じていることや確信していることでも、人に「なんでそう思うの?」と聞かれると意外と答えることができなかったりします。自分一人で考え込みすぎず、誰かの違う発想を取り入れることは大事だと思うのです。
書くことで周囲に自分を理解してもらう
わたしは文章を書くことが好きで、よく書いています。
ネット上に障害についての文章を公開しはじめた頃は、カウンセリングでのことや、自分の悩みに関する内容を書くことがほとんどでした。おかげで自分の障害のこと、悩みのことも事前に知っていてくれる知人友人が多く、とても助かりました。
障害のことを公の場で書いたり話したりすることは、いわば全世界に向けてのカミングアウトをしながら生活しているようなもの。でも少なくとも、仲良くしてくれている知人友人の人たちはわたしに関して「双極性障害Ⅱ型の人」とだけ思っている人はいないと感じています。
以前のわたしは、実はとっても不安でした。長いあいだ不調に苦しんできたので、診断が確定していろんな人にそれを話すようになってから、自分と障害がイコールで結ばれてしまって、自分自身がどこかへ行ってしまったようにも思っていました。
わたしに限らず、人は誰しも様々な面があると思います。場所や接する相手によって、少し違った自分を持っていて、くるくると変えているところがあるのではないでしょうか。そんな風に、この障害もわたしの一面にすぎないと思っています。
ただ、先日、自分でもびっくりしたことがあります。いつものように文章を書こうとパソコンに向かった瞬間、「もう自分のことで悩むことに飽きたなぁ」と思う瞬間がきたんです。今も困っていることすべてが解決したわけではありませんが、ある程度自分のことを語り尽くしたと思えたのかもしれません。
書くことには様々な良い効果があると思います。もし、文章を書くことがものすごく嫌いでなければ、ぜひ自分の気持ちを飽きるまで書いてみることをおすすめしたいです。
病気のことだけ考えすぎない
「自分らしく」「少しずつ」…。よく聞かれる言葉だと思いますが、実践するのは難しいですよね。
わたしは最近、こうしてコラムを書かせていただいたり、イベントでお話させていただくことはありますが、日常的に障害のことをSNSなどで話すことは少なくなったと思います。もちろん、家族など周囲の人には細かく伝えます。でも、同じ障害や似た病気の人たちとあまり病気についてずっと考え込みすぎると、逆効果になってしまうこともあるのではないかと思っています。
以前は、わたしの病状について家庭内で頻繁に話し合っていたことがありました。どんどん不安になっていってしまい、診察を受けると、主治医にこんなことを言われました。
失礼だけど、患者さんとご家族はみんな素人なんだから、家庭内だけであまり考えすぎないほうがいいよ。
その言葉にハッとして、それから治療は主治医に完全に任せることにしました。疑問や不安があれば、それも主治医に直接伝えるようにしています。
同じ双極性障害の患者たちで集まると、障害の性質上、「躁状態になっている人」と「うつ状態になっている人」でコミュニケーションをとる状況になることがあります。お互い必要以上に気を遣ってしまったり、余裕をもったやりとりができないこともあります。
同じ障害や似た病気を持った仲間の存在はもちろん大きな力になります。でも、常に病気のことばかり考えるは良くない気がするので、私は世界を広げるようにしています。
自分のことは好きじゃないけど、嫌いじゃない。それでいいかな
つらつらと色々なことを書いてきましたが、わたしはずっと自分のことが好きになれずに悩んできました。今も好きかと聞かれると、「嫌いではないかな」という感じです。でも、多分これくらいの気持ちで丁度いいのではないかと思いはじめました。
自己肯定感を上げなきゃ。
自分を好きにならなきゃ。
以前はこんな「〜べき思考」にとらわれて、自分にとても厳しくなってしまっていた気がします。自分のことは好きじゃなくても、嫌いじゃなければいいかもしれない。そう思ったとき、ふっと楽になれました。
気分が荒れたり、落ち込んでその矛先が自分に向かいそうなときは、自分なりのストレス解消法を試します。「コーピングリスト」というそうなのですが、ストレスを感じたときの対処法をメモにまとめて持ち歩いています。
最初このリストを作ったときは、自分のストレス解消法が全く思いつかず、すごく限られた選択肢の中で無理をしていたんだと気づきました。ストレス解消の手段はあればあるほど選ぶことができてよいものだと思います。
わたしのリストには今「好きなお店でランチする」「誰かに話す」「手で文字を書く」など、日常でできることが並んでいます。少しずつ増やしたいので、自分が癒やされる瞬間を探しているところです。
「ケアが必要で大変だけれど憎めないやつ」、そんな自分を楽しむ
わたしは2年間、試行錯誤をしながらなんとかやってきました。もちろんまだまだ未熟なところはたくさんあります。体調を大きく崩すことも減ってきてはいますが、まだまだ不安定なことも多い。
それでも少しずつ快方に向かっていると感じられるのは、ひたすら自分を観察してきたからだと思っています。ウェアラブルデバイスを使って睡眠を計測したり、自分の夢中になれることを探し、楽しめる方法を見つけたり。これはまだまだ続けたいと思っています。
自分という人間は、一番近くにいながら一番よくわからない生き物だとわたしは思います。でも、ペットを飼うときのように、「こうすれば喜ぶんだな」「これは困ってそうだから何か考えよう」というイメージで自分と付き合うといいのかもしれません。
時間をかけたおかげで「どうでもいいとしか思えなかった存在としてのわたし」から「ケアが必要で大変だけれど憎めないやつ」みたいに変わっていきつつあります。もしよかったら、少し引いた目線で自分を見つめてみてください。
仕事をしたいのに障害が邪魔をしてくるような場面もありますが、小さな子どもやペットをなだめるようなイメージで付き合っています。子どもと手を繋いで歩いていると、歩くのが遅いと感じるかもしれません。
でも、そんな風に障害と手をつないで、少し「遅いなぁ」と思ったら、わたしも歩くペースを落とします。障害は自分からは切り離せないし、不自由だと感じることもあるけれど、工夫すれば一緒に生きていけると思っています。障害はわたしの一部で、全てではないと感じられるようになりました。
精神障害者のひとりとして生活して働くことは、バランスをとることが難しいと感じるときもあります。でもとても負けず嫌いなので、できないことはどうにか工夫してでもやりたい。障害とどうしても折り合いがつかないこともあるかもしれませんが、少し違った形でもやりたいことができることもあるかもしれません。
これからも厄介な自分のケアも工夫して楽しみながら、ワクワクする方向へ進んでいきたいと思っています。
(写真/馬場加奈子)