【写真】笑顔で並ぶ登壇者3人とモデレーターのもりじゅんやさん

どうしようもなくつらいとき、自分を支えてくれたのは誰でしたか?

心に不調を抱えることは特別なことではありません。私自身も社会人になったばかりの頃、仕事のストレスから「うつ病」と診断されました。

医師の診察や投薬治療もきっと回復を後押ししてくれたのだと思います。でも、何より支えになったのが友人の存在でした。

私が調子を崩していることを知った友人たちは、毎朝何気ないメールをくれたり、週末にお茶を飲みに誘ってくれたり。そんな関わりが、自信を失っていた私にとって、とても大きな励みになりました。

もし、私自身がまた心の不調を抱えることがあったら。身近な誰かがそうなったら。過去の私自身の経験から、医師やカウンセラーなど、プロフェッショナルの助けを借りるほかにも、何かできることがあるような気がしています。

日常のなにげない営みのなかに、心の不調や予防、そして回復に繋げられることがあるのであれば、救われる人がたくさんいるのではないでしょうか。

5月28日に開催されたイベント「“共にいる”ことがもたらす「こころ」のケア」 では、人の心と日々真摯に向かい合っているゲストのおふたりと、人が共にいることで可能になる「支える・支えられる」の関係がもたらすケアについて考えました。

人の心と向き合うことを仕事にしているゲストのふたり

トークには、モデレーターを務めるsoarの副代表・モリジュンヤと理事・鈴木悠平、そしてゲストの東畑開人さん、小澤いぶきさんが登壇。まずはゲストの自己紹介から始まりました。

【写真】笑顔で説明するとうはたかいとさん

1人目のゲストは、心理学者の東畑開人さんです。京都大学の大学院で教育学と心理学を学んだ後、スクールカウンセラーなどを経て、精神科クリニックに勤務。現在は十文字学園女子大学にて大学教員をしながら「心の治療とは何か」を研究する他、カウンセリングルームを開業しています。

今年発売した著書『居るのはつらいよ−ケアとセラピーについての覚書』には、沖縄の精神科クリニックでのデイケア勤務経験を通して「ただ、いる、だけ」の関わりがケアとしてもたらす価値について書かれています。

東畑さん:心の援助について考えることが僕の仕事です。心を病むとはなにか、心が癒されるとはなにか、健康とはなにか。そこに興味があって、ずっと考え続けています。

【写真】笑顔で話すおざわいぶきさん

2人目のゲストは、認定NPO法人PIECES代表理事で児童精神科医の小澤いぶきさん。児童精神科医として臨床に従事する傍ら、2013年に子どもの孤独を解消することを目的にPIECESを設立しました。

PIECESは子どもが育っていく世界に寛容性を生み出すこと、“優しい間”のある社会をつくることをミッションに活動しています。

小澤さん:人はそれぞれが違う考えを持っています。それを拡張していこうとすると、誰かが排除されたり、しんどくなる人が出てきたりすると思うんです。なので、人と人との心地いい“間”を考えられる人を育成しています。そして、その人たちが地域のなかで、子どもたちのまわりにも優しい“間”を広げているんです。具体的には、子どもたちの居場所を作ったり、子どもたちのためのプロジェクトを行うこと。それが私たちの活動です。

ケアは傷つけないこと。そしてセラピーは向き合うこと

【写真】満員の会場。参加者たちは真剣に話を聞いている。

ゲストトークの序盤、モデレーターのモリが会場にこんなことを問いかけました。

モリ:このなかで、ケアとセラピーの違いを説明できる方はいますか?

東畑さんの著書を読んできたという方が多く、手を挙げた方も多数。まずはテーマを深く掘り下げる前段として、東畑さんからケアとセラピーの違いについての説明がありました。

東畑さん:簡単に言うと、ケアは、傷つけないこと。セラピーは、傷つきと向き合うことです。

そもそも、ケアとセラピーは人と人とにはふたつの関わり方があるという発想からきているものです。

「ケア=傷つけないこと」と聞くと簡単なことのように思えるかもしれません。でも、“傷つきやすい人”を傷つけないということには、莫大なエネルギーが必要です。たとえば、相手が少し触れられるだけで「痛い」と感じ、距離を取られるだけで「無視された」と感じてしまうとしたら。そのコミュニケーションに不安を感じる方も多いのではないでしょうか。

「ひとりでいると寂しい」という人と一緒にいることは、それ自体がケアになるでしょう。でも、相手が誰であっても、24時間365日一緒にいることはできません。離れたときに感じる「見捨てられた」という感情をどうして持ってしまうのか。そもそも、「寂しい」と感じるのはどうしてなのか。それと向き合うことがセラピーなのです。

東畑さん:問題があって、その問題に含まれているニーズを満たして行くのがケア、そのニーズに向き合って軌道修正していくのがセラピーです。

ただそこにいること、の難しさ

【写真】笑顔で話すとうはたかいとさん

このイベントの大きなテーマである、「いる」と「する」。東畑さんは、その違いを、イベント開始前に自身に起こった出来事を例に説明してくれました。

東畑さん:ついさっき、このイベントの準備中のことなのですが、soarスタッフの皆さんがテキパキと準備を進めるなかで、僕は手持ち無沙汰で思わずコンビニへコーヒーを買いに行ってしまいました。スタッフはやることがあるからいいんですよ。でも僕にはイベントが始まるのを待つ以外することがない。「椅子並べるの手伝って!」ってこき使ってくれた方が、その場にいるのが楽だったりするんです。これは名付けてアルバイト初日問題です(笑)。

たとえば、アルバイトの初日。まだ仕事を覚えていないので、自分から動くことはできません。さらに職場の人とも打ち解けていないので、気ばかり遣って疲れてしまったという経験を持つ方も多いのではないでしょうか。

私自身もこれまでを振り返ると、やることがなくて暇な状態より、するべきことがあって忙しいほうがずっと楽なことが多かったように思います。だからこそ、常に「するべきこと」を探し、やり続けることに注力してしまいます。そうしているうちに、どうやってただそこにいればいいのかが分からなくなっているのです。

東畑さん:「ただ、いる、こと」ができるのは、すごく油断できるということ。先ほどの準備中の話は、初めての人のなかで手持ち無沙汰でいるより、コンビニに行った方が油断できるっていう一例です。

1歳の子どもがいる鈴木さんは、子育てをするなかで感じた「いる」こととケアの繋がりについて話しました。

【写真】登壇しているすずきゆうすけさん

娘さんと自宅で2人きりで過ごすときは、もちろん鈴木さんがおむつを替えたり、食事を与えたり、一緒に遊んだりと目に見えるケアをすることもあります。

でも、同じ空間にいながらそれぞれが違うことをしていることも。鈴木さんが仕事をしているときに、娘さんがひとりで部屋の中を探索したり、おもちゃで遊んでいたりもします。

鈴木:もし、そこに僕がいなくて娘ひとりきりだったら、娘は泣き出すと思うんです。でも、ふたりでいるから娘は安心してひとりで遊べる。そんなことから、同じ空間にいるだけでも、必要とされてケアが生じているのかなと考えたりしています。

私たち大人は、何をするにも目的を必要としていて、「ただそこにいること」がすっかり苦手になっているかもしれません。ですが、子どもたちはどうでしょう。大人よりずっと、ただそこにいることを自然に行っているのではないでしょうか。

日々、子どもたちと接している小澤さんは、だからこそ気をつけていることがあると言います。

小澤さん:子どもが「ただいること」を得意としているのは、遊びながらそこにいられるからなのかな、と思います。遊ぶって目的的ではないんですよね。だからこそ、子どもたちが安心していられる。でも同時に、大人はそこで生まれる「こんなことがしたい」という願いや変化にも目を向けることが大切だと思います。何かやりたい子に対しては、一緒に何ができるかも考えていきたいんです。

目的を持つ病にかかっている、現代の私たち

【写真】真剣な表情で説明するとうはたかいとさん

イベントの前半では、「“ケア”と“セラピー”」「“いる”と“する”」についての具体的なトークが展開されました。東畑さんは、ここまでを振り返って、目的についてこんな発言をしました。

東畑さん:なんだか僕たちは「目的を持つ」という病にかかっている気がしますね。

そこで例にあがったのが受験です。希望の学校や将来の夢など、目的を達成するために、今の楽しみや遊びたい欲求を抑えるというのが受験のあり方。これは、今我慢して将来の成果に繋ぐ、という発想でもあります。

東畑さん:受験にはゴールがありますよね。その日まで走り続ければ終わりが来るんです。でも、僕ら大人にはゴールがない。ゴールがないのに、目的や目標を次々と提示されて、前へ前へと走り続けているような気がします。

鈴木:働くうえでよく「プロフェッショナル」という言葉が持ち出されるけれど、この“プロ”っていうのは、“前”とか“先”といった意味を持つ接頭辞です。現代社会は、この先で大きな成果を出すために今を我慢するという構造になっているような気がします。未来の奴隷になってしまっているのかもしれません。

先のことばかり気になる大人に比べ、目の前のことに興味を持ち、素直に探求するのが子どもたち。そんな素直で柔軟な子どもたちのいる環境が、現在の社会の構造のように、目的的なことばかり溢れるようになってしまうことを危惧するのが小澤さんです。

【写真】登壇しているおざわいぶきさん

小澤さん:子どもたちのまわりが目的的なことばかりだと、本来発達のなかで引き出されるはずの興味喚起や、それによって成長していくきっかけが削がれてしまうんじゃないかと思うことがあります。

子どもたちは、今この瞬間の興味や楽しみがとても大切なはず。それを将来のために我慢しなくてはいけない環境は、子どもたちにとって良いものと言えないのではないでしょうか。

東畑さんは、小澤さんが口にした「発達」という言葉を掘り下げていきます。そもそも「発達」という概念そのものが、前や先に進む、そして何かになっていく、といういわば“プロ的”な概念です。

発達にはいろいろなありかたがある、ある種の個性として捉えていこうという発想がありながらも、決まった道から外れないようにという潜在的な考えを多くの人が持っているのかもしれません。

東畑さん:治療の現場では、なかなか治らない、「発達」しないというケースが確かにあります。そのことと付き合っていくのが、まさにケアです。でも、なかなか治らない、「発達」しないのが、自分や家族だったら、やっぱり治ってほしい。発達したい、という気持ちになるかもしれません。僕らにはどうしても何かを目指すという志向性、あるいは呪いがあるのだと思います。そこから抜ける方法は、僕自身もまだわかりません。

小澤さん:「発達」って一直線に伸びていくものではないんです。その人それぞれの興味や置かれている環境などによって、寄り道したり、くねくね曲がりながら変化していくものなのですよね。

その話を受けて鈴木さんが例に出したのが、soarの取材で訪れた「しょうぶ学園」という障害者福祉施設の支援のあり方。知的障害などの障害のある入居者がやりたいこと、楽しいと思うことに支援者が合わせていくというスタイルが印象的だったと鈴木さんは話します。

鈴木:ものづくりが有名な福祉施設なのですが、それも強制するのではなく、多様な表現をする入居者のためにさまざまな選択肢を用意している。支援者はそれを整えているだけだというお話でした。これはひとつの面白いモデルだなと思います。

生活をするうえでは、さまざまなサポートがあるはずです。でも、しょうぶ学園のものづくりの場では、入居者の思うままに表現できる環境が整っています。それは、「いる」だけのケアが実践されているということではないでしょうか。

安全があるところに余白があり、余白があるところにさらなる安全が生まれる

「ただいる」ということに難しさを覚え、目的を持つ病にかかっているとも言える私たち。トークの中盤では、「マインドフルネス」が話題にあがりました。

【写真】真剣な表情で話すもりじゅんやさん

モリ:私たちはつい過去や未来のことばかり気になってしまいがちですが、逆に今に集中するというのがマインドフルネスですよね。それに注目が集まっているのは面白いなと感じます。

「マインドフルネス」は、「今、この瞬間」を大切にする生き方のこと。その実践方法であるマインドフルネス瞑想は、医療や福祉の現場でも取り入れられています。また、メディアに取り上げられることも多くなったので、なんとなく知っているという方も多いのではないでしょうか。

そのマインドフルネスと共通している思想が、マルクス・アウレリウスの「自省録」。全編にわたって「いまこの瞬間こそ重要だ」という思想が貫かれています。

東畑:マルクス・アウレリウスがその「自省録」をどこで書いていたかというと、戦場なんですよね。やりたくない戦争をやりながら「いまこの瞬間が大切」って書いているんです。それが現代で注目を集めているということは、今、僕たちは戦争のなかにいるんじゃないかっていう発想に繋がります。

どんな立場でも、どんな職種でも、あらゆることのスピードが早くなった現代において、緊張状態のなかで毎日を過ごしている人が増えているのかもしれません。そのなかで、目的を持ち続け、先を見通し、負けてはいけない、勝ち抜かなければいけない…という現実にさらされ続ければ、疲弊してしまうのは当然です。

鈴木:戦場を生きているという話で、とある自助グループの代表をしている方のお話を思い出しました。四六時中トラブルが起きたり、警察から連絡が来たり、誰かがパニックを起こしたりと、対応に追われるなかで、その方は庭の草むしりをしていたことがあったそうなんです。ずっと緊張状態とか、完全にリラックスではなく、緊張状態のなかにも、草むしりをする”余白”をつくっておくみたいなことが、さまざまなトラブルに柔軟に対応するために大切なのかなと考えさせられたエピソードでした。

緊張状態が続く、いわば「戦場」には余白は生まれません。安全があるからこそ、余白が生まれ、余白があるところにさらなる安全が生まれます。

ケアするということも、全く心に余白がない人の心に少しずつ余白を作り、本人が安全を感じられるようにすることなのです。

【写真】楽しそうな様子で話をきく参加者の方々

日常の小さな積み重ねが、ケアの土台として機能する

【写真】楽しそうな様子で話す登壇者3人とモデレーターのもりじゅんやさん

冒頭で、ケアとは傷つけないことだという話がありました。では具体的にケアとは、どのような行動をすることなのでしょうか。

東畑さん:家族や身近な人へのケアと聞いて多くの人がイメージするのが、話を聞いてあげることだと思います。でも、実はそれは偏った考え方なんです。一緒にいることでの心のケアという文脈だと、皿を洗ってあげるとか、本人が面倒だと思うことをやってあげるというのが一番のケアなのではないかと思います。

モリ:その皿を洗うことって、例えば夫が妻の代わりに家事を担うという意味での皿を洗うこととは差異があると思うのですが、具体的にどういう違いがあるのでしょうか?

東畑さん:「優しさ」という問題とも関わっていると思います。たとえば、夫婦間でどちらかが苦しい状態にいるとき、あるいは傷ついているとき、いつもより考えて、情報を集めて、相手が必要としていることをやることがケアなのだと思います。

ケアと聞くと、話を聞いて、相手の背中に手を当ててなぐさめる、というイメージが連想されます。もちろんそれも大切なケアのひとつ。でも、そういった特別なこと以外にも、日常のなかでやれることはたくさんあります。

たとえば皿が洗ってあったり、帰ったときに玄関が綺麗だったり。そういう小さな積み重ねこそが、実はケアそのものなのです。

【写真】楽しそうに説明するおざわいぶきさん

小澤さん:それってある意味で、安心で安全な日常を作っていくこととも言えますよね。私は東日本大震災の後、津波の被害があった陸前高田に行きました。そこですぐにセラピー的なことができるかといえば、そうではないんです。まずは、安全な日常を取り戻すことが大切でした。明日も日が昇って、日が沈む。今日と明日は続いていて、世界は壊れない。そんな日常の土台となる感覚を取り戻していくことの大切さを感じました。

東日本大震災が起きたときは、自分が生きている日常の脆さや危うさを感じた人が多かったでしょう。でも、東畑さんはこう言いました。本当は、今はそうじゃないはずだ、と。

東畑さん:地震のときは、世界は壊れそうに感じました。でも今現在は、安全な世界に僕たちは生きていますよね。それなのに、過覚醒になっていて、安全性が確保されているのに、それを見失ってしまうこともあります。そうすると人は不調をきたしてしまう。そんなときにセラピーが必要になるんです。

たとえば、今ここに家族やパートナーとの良い関係があるのに、危険に感じたり、壊れやすく感じたり。さらには、攻撃して自分で破壊してしまったりすることもあります。

東畑さん:普通ではない、危機的状態から脱してもらうために、セラピーという仕事を僕は毎日やっているのだと思います。

人を頼れば、きっといいことが起こるはず

【写真】満員の会場。参加者たちは真剣に話を聞いている

イベントの終盤では、自分で心の不調を感じた時にどうやって発信するのか、またまわりはどうやってそれを受け取ればいいのかを話しました。

モリ:セラピーが必要になるような深刻な状態になる前に、自分の心の不調をまわりに発信するのはすごく難しいですよね。まわりから気付かれるような段階で、やっと情報として届くことが多いように思います。もう少し前の段階で、情報発信をしたり、周囲がそれを受け止めるためにはどういうことが考えられるでしょうか?

心の不調に限らず、なにか困ったことが起きたとき、誰をどうやって頼るのかは、相手への信頼度によって変わるもの。お互いの信頼が深いと、自然に頼ったり、頼られたりということが可能になります。

【写真】真剣な表情で話すすずきゆうすけさん

鈴木:これは僕自身の体験なのですが、去年の夏に適応障害と診断されました。症状が一番ひどかった時期、自宅の台所で余ったごはんを炊飯器からタッパーに移していたときに涙がポロポロとこぼれてきて。そのとき妻は何も言わずに洗い物を続けてくれました。特に会話は交わさなかったけど、あの時間はすごくありがたかったなと今になって思うんです。

また、鈴木さんは適応障害という診断を受けたことを、会社の上司や同僚にも報告、またSNSでも自分から能動的に発信しました。

職場では当時、マネージャーとして人材の育成や事業成果に責任を持っていた鈴木さん。いざ病気のことを開示すると「大丈夫っすよ!」とみんな頼もしくその事実を受け入れてくれました。

鈴木さん:SNSで発信したことで、「勇気あるね。実は俺もこんな症状があって」「実は家族が病気で」といったような連絡を友人からもらいました。SNSはまさに自分をケアするために書いたものだけれど、弱さの自己開示によって“ケアの連鎖”が起きたことを感じました。

小澤さん:こんなふうに、不調になったけどまわりに支えてもらえたよってことを身近で見れたり、聞けたりしたらいいですよね。少しずつ「自分が不調になったときにも、受け入れてもらえるかも」って連鎖していくんじゃないかな、と鈴木さんのお話を聞いていて思いました。

人を頼ることが持つ可能性を語った東畑さんの言葉には、会場の多くの人が頷く姿も。

東畑さん:僕ら現代人は誰かに頼るのが苦手ですよね。でも、みなさん、頼られるのは好きじゃないですか?みんな誰かを助けることが本当はとても好きだと思うんですよ。だから、人を頼れば、きっといいことが起きるはずなんです。

複数の頼り先を持つことで、自分から不調を発信できる環境を

【写真】真剣な様子で話をきく参加者の方

頼る、頼られるという話のなかで、出てきたのが「自立とは、依存先を複数持つこと」という医師で東京大学准教授の熊谷晋一郎さんの言葉でした。

「他人の力を借りずに自分の足だけで立つ」という意味に捉えられがちな自立という言葉を、こんなふうに言い換えた熊谷さんには多くの人が救われたはず。

心の不調を感じたときも、頼る先が複数あれば、自分で周囲に情報を発信したり、助けを求めることができる可能性が高くなるのではないでしょうか。

鈴木:ほどよい親密性のあるコミュニティがひとりに、ひとつではなく、2つ3つあれば、社会全体で孤立する人が少なくなるんじゃないかなと思います。

たとえば、親密なコミュニティは家族と職場と趣味のグループという人もいるでしょう。または、家族が安心できる場所ではないから、自助グループと職場と同級生の集まりという人もいるかもしれません。

でももちろん、コミュニティが全てを解決してくれるわけではありません。人にはひとりになって心を癒したいときも、誰かといるというだけで傷ついてしまうような時期もあります。無理せずに、自分が居やすい場所にいることが何より自分をケアする方法です。

失敗を受け入れながら、それでも関係を続けることで親密圏を得られる

【写真】和やかな雰囲気で話す登壇者3人

頼れる先を複数化することは大切としながらも、裏切られる可能性があることに委ねることで得られる“親密圏”についても話が及びました。

東畑さん:もちろん、複数の頼り先を持ってリスクヘッジするということも大切です。だけど、そもそも他人は他人だから裏切る可能性があるということは原理的に消えないものですよね。それでも、僕らは深い関係を結ぶことをどこかで求めているんです。結婚もそうですよね。結婚って怖い。パートナーシップって恐ろしいんですよ(笑)。

たった1人の人にコミットするということには、裏切られる可能性が消えません。でも、そこに潜っていくからこそ得られる“親密圏”が存在します。そこに辿り着けるのか、それは賭けと言えるのかもしれません。危険でリスクがあるけれど、人はパートナーシップを結ぶために、勇気を出して賭けにでることがあるのです。

小澤さん:私はそういう話を聞くと、家族という親密圏がうまく機能しなくなった環境でなんとか頑張っている子どもたちのことを考えてしまいます。家族でなくても、すべての子に親密圏があることが理想だなと思うんです。

人間関係で失敗しない人はいません。その失敗を受け入れて、それでもその関係を続けていくことこそが、親密圏を築くということなのでしょう。

人と人の関係を築き、信頼関係を紡ぐこと。このあたり前のように見える行為こそが、ただ共にいることで可能になる「支える、支えられる」の関係がもたらすケアの第一段階になるのです。

弱さを見せられる間柄でこそ、ケアが通いあう

【写真】笑顔で並ぶ登壇者3人とモデレーターのもりじゅんやさん

今回のイベントのゲストトークを聞きながら、私にはどんな人との関係性や頼り先があるだろうかと改めて考えました。

もし、今後私がまた心の不調を抱えたときにそれを自分から伝えられる先と考えた時に、何人かの顔やいくつかのコミュニティは思い浮かびます。

でも不調をどうやって伝えるのか、逆に誰か近しい人から心の不調を抱えているというメッセージを受け取ったときに、私は何ができるのか。はっきりとした答えを見つけることができませんでした。

答えが出せない理由は、親しい人、信頼している相手であっても、関係性はそれぞれだから。はっきりと「こうするのが良い」という答えはなく、その都度考えなくてはいけないことなのでしょう。

ひとつ明確なのは、人を頼ったり、ネガティブな気持ちを伝えるのは誰かに負担や迷惑をかけるばかりではないということです。弱さを見せられる相手こそ、お互いを支え合える信頼関係を築けているひと。決して一方的なものではなく、相互に気持ちが通い合っているということだと思うのです。

【写真】そあのうぇるかむぼーどの写真。 「うぇるかむ とぅー そあ いべんと」と書かれている。ボードには、今までのインタビューの様子や、何枚かイベントでの写真などが貼られている。

関連情報:
東畑開人さん Twitter
NPO法人PIECES ホームページ

(写真/川島彩水)